<!DOCTYPE HTML PUBLIC "ISO/IEC 15445:2000//DTD HyperText Markup Language//EN">

<html lang="ja" dir="ltr">
<head>
<meta http-equiv="content-type" content="text/html;charset=shift_jis">
<meta name="author" content="加納 景">
<meta name="robots" content="INDEX,FOLLOW">
<link rev="made" href="mailto:%77%65%62%6D%61%73%74%65%72%40%70%6F%65%73%69%61%2E%6A%70">
<link rel="start" href="../index.html">
<link rel="index" href="./index.html">
<link rel="prev" href="./200401.html">
<link rel="next" href="./200403.html">
<link rel="help" href="../about/index.html">
<link rel="stylesheet" type="text/css" href="../css/main.css" media="screen,tv" title="elegant">
<title>Other Voices(2004-02) -Poesia</title>
</head>
<body>
<ol id="NAVI">
<li><a href="../index.html">Home</a></li>
<li><a href="./index.html">バックナンバー</a></li>
<li><a href="200401.html">前月</a></li>
<li id="POINT">今月</li>
<li><a href=".200403/.html">次月</a></li>

</ol>
<h1 lang="en">Other Voices(2004-02)</h1>
<h2>idea</h2>
<h3>2004/02/28(Sat)</h3>
<h4>こみゅん</h4>
<blockquote cite="http://sins.me.uk/index.php?20040227#20040227_02">
<p>それともう一つこのオウム裁判で考えたのが、残党で更に先鋭化したオウムを作るとか。ネオオウムとか名乗って。と言うかこの「ネオオウム」ってのが自分的にカッコ良くて使いたいってだけ。そういえば<a href="http://www.poesia.jp/">加納さん</a>がこの辺のコミュニティ名何にするかって言ってたから、「ネオオウムコミュニティ」とかイイかも。まさにアングラ、危ない感じがグッドですよ。</p>
</blockquote>
<p>略してネオコミ？なんかネオコンみたいですね。さうなると、私もちよつとかぶいてみて、UGつぽいコンテンツを作成しないといけないかも。ここは笑ふところ。</p>
<p>ネオオウムコミュニティはCSSコミュニティに勝てる（謎）のでせうか。</p>

<h3>2004/02/28(Sat)</h3>
<h4>書きたいこと</h4>
<p>過去ログを読み返してゐたのですが、俺は相当色々なことを書いてゐるな。いつも何かしら考へ事をしてゐるから、書いても書いても書きたいことが留まらない。</p>

<h3>2004/02/28(Sat)</h3>
<h4>合掌</h4>
<p><a href="http://www.asahi.com/obituaries/update/0227/003.html?2004">歴史家、元神奈川大教授の網野善彦さんが死去</a>の記事を見てびつくり。網野氏と言へばそつちの方面ではトップを突つ走つてゐた人で、私も主要な著作は読んだ。全面的には賛同しかねるけれど、初期の研究には敬意を表したい。</p>
<p>網野氏を私は、高校の頃尊敬してやまなかつた社会科の先生に教へてもらつた。先生はかなりの読書家でもあつたし、高校教師のかたはらモンゴル史の研究をされ、いくつか著作もあつた。だから、著名な学者に知り合いがたくさんいて、私が明治学院大学を受けようかと話た際、あの竹田青嗣氏とも知己らしく、紹介状を書いてくださるとまで言つてくださつた。それから、竹田氏の本を乱読するやうになつたのは言ふまでもない。それほど先生の影響は強かつたから、当然、網野氏の死は、衝撃的だつたのだ。極めて私的な理由で恐縮だけれども。</p>

<h3>2004/02/27(Fri)</h3>
<h4>例のプロジェクト</h4>
<p>加納の日記スクリプトを<em>他人に</em>作<em>らせる</em>無謀なプロジェクトは未だ完成してゐませんが、だからと言つて<span title="誤用">モバイルタイプ</span>を使ふ気にはなりません。私が夢想してゐるのは、よくある掲示板スクリプトのやうな、誰でも設置が簡単で余計な機能が付かないシンプルなものであり、しかしながら設定の自由度が高いもの、これです。機能面だつて、トラックバックとかコメント機能なんかいらないから省くけれど、それ以外、各記事へのリンクや、バックナンバーの自動生成くらゐはできるものになると思ふ。トラックバックとか、いらないよ。コメント機能もいらない。制作者と閲覧者、ともに利便性が高いものであればよい。</p>

<h3>2004/02/27(Fri)</h3>
<h4>ドメイン取得完了</h4>
<p>早くて二三日はかかるといふ.jpドメインをもう取得できました。時間的に余裕がないので、サイト名やら何やらを変更してゐないのですが、一応以下のやうになると思ひます。</p>

<ul>
<li>サイト名：<span lang="sp">poesia</span></li>
<li>サイト名の読み方：「ポエシーア」スペイン語で「叙情」や「詩情」といふ意味です。</li>
<li>URI：http://www.poesia.jp/</li>
</ul>

<h3>2004/02/27(Fri)</h3>
<h4>不可解な恐怖体験</h4>
<p>別に恐怖でもなんでもないので、タイトルは羊頭狗肉ぽいのだけれど、ここ最近<a href="http://tirukuru.jp/">ちるくるさんのサイトのインデックス</a>から訪問して下さつてゐる方がいらしやるやうで、なんだらうと思つてゐたのだけれど、別にリンクされてゐませんよね？2ちゃんの某スレに晒されて以来の来訪者数なんだけれど。うちのアクセスログは、xrea付属のやつで、あまり性能がよくないので解りません。儀礼的無関心には無関心な私ですが、逆にリンクして下さつてゐるサイト様には関心ありすぎ。</p>


<h3>2004/02/26(Thu)</h3>
<h4>私の至上の問題</h4>
<p>やはりこれだけはメモしておかう。ここ最近、私の脳裏にあるのは、美と正しさとは両立しうるかといふことである。もちろん、さういふことは可能であらう。つまり美しいながらも、背徳的ではなく正しい事象は存在するに違ひない。しかし例へば、人非人が思ひもよらぬ妖しさを輝かせることはないだらうか。人は、人が悶え苦しむ様を、時として美しく感ずる時はないだらうか。さういふとき、果して正しさが一義的存在足りえるだらうか。私は最近、さういふ問い自体ナンセンスなのではないかと思ふやうになつた。陶酔といふ。美とは「美しい」ものとは限らないが、それでも陶酔してゐることに違ひない。その時に、果して正しさなるものが登場する幕はあるだらうか。私は想像するに、ヒトラーは美しかつたに違ひない。当時のドイツ人には、ヒトラーは絶へ間なく輝く美の象徴であつたに違ひない。では一体、誰が正しさを持ち上げたのか。何のことはない。それはドイツの政治的敵対者達と、戦後それらに負かされたことによつて、半ば強制的におつむを取替へられた人びとでしかない。さうと解れば、正しさなるものも、美と同じくらゐ普遍性を持ち、或は持たないものであると言へる。</p>


<h3>2004/02/26(Thu)</h3>
<h4>花粉症</h4>
<p>只今加納は花粉症でダウンしてをります。今日はもう寝ますので、更新しません。この時期、暖かくなるのは有難いのだが、本当にコレが腹立つ。北海道では花粉症なんてなかつたからね。</p>


<h3>2004/02/26(Thu)</h3>
<h4>ドメイン2</h4>
<p>.jpしか空いてゐないよ！なんか恰好悪いよね！しかも.comとか.netとか.orgなんかよりずつと高いんだよ！さらに登録に時間がかかりすぎるんだよ！もうやつてられないよね！え？まるで大江健三郎の小説のやうだつて？きつと気のせゐだよ！</p>


<h3>2004/02/26(Thu)</h3>
<h4>ドメイン</h4>
<p>ドメインを近々取らうと思ひます。その際は、サイト名もURLも変りますので、お手数ですがブックマークの変更及びリンクの変更をお願ひいたします。</p>


<h3>2004/02/26(Thu)</h3>
<h4>なんて酷いHTML<del datetime="2004-05-31T03:17:10+09:00">文章</del><ins datetime="2004-05-31T03:17:10+09:00">文書</ins>なんだ</h4>
<p>うちのHTML、酷いとしか言樣がない。ISO-HTMLに準拠してゐるなんてのは、文法だけで、思想的にはさうではない。例へば、各コンテンツへのリンクはh1要素の下にある。をかしい。なぜなら、題名は本文にかかつてゐるはずで、コンテンツは関係ないからだ。そしてさらに、公開日や更新日、リソースの位置を示したものがh1要素の下にあるのも、同様の理由でをかしい。本来は以下のやうになつてゐなければならない。</p>
<div class="ex">
<pre>[広告]
[パン屑リスト]
[公開・更新日]
[h1]
[本文]
</pre>
</div>
<p>今のデザインを維持しながら、このやうなマーク付けを行ふには、私の力量があまりに小さすぎる。</p>


<h3>2004/02/26(Thu)</h3>
<h4>あー</h4>
<p>今日初めて西部スレを見たのだが、私が「西部氏批判の総批判」と題してやらうとしてゐたことがもう常識のやうに書かれてゐて、やつぱりちやんと読んでゐる人は読んでゐるんだなあと実感。</p>


<h3>2004/02/26(Thu)</h3>
<h4>独立系文化人？</h4>
<blockquote cite="http://sins.me.uk/index.php?20040226#20040226_02">
<p>僕の中では<a href="http://www.fleugel.com/">深月さん</a>が将軍でこの当たりを統括してて、それに対して<a href="http://www.ug5150.com/">5150氏</a>が京都当たりに住む公家と言うか天皇系列。<a href="http://www.nukupage.com">kenta氏</a>は更に院政敷いてて、<a href="http://casa.s20.xrea.com/">加納さん</a>は独立系文化人。<a href="http://www.unendlichegeschichte.org/">Virulenz氏</a>は加納さんの近くに住むご隠居で実は実力者。え？僕ですか？僕は有栖川一族ですが何か？気が向いたら続き書くかも。</p>
</blockquote>
<p>続編希望。といふか、コミュニティ名は何にしませう 笑ひ。</p>


<h3>2004/02/25(Wed)</h3>
<h4>文体</h4>
<p>smileに村上春樹の青春三部作を貸して、『風の歌を聴け』を読み終つたころに、メールで、私の文体が村上氏のそれと似てゐると言はれた。私は文章を書くやうになつてこの方、村上氏の呪縛から逃れようと必死になり、またある程度達成したと考へてゐた。しかしそれは幻覚でしかなかつたやうだ。私も、日本のweb日記界隈の人たちと同じ過ちを繰りかへしてゐる。</p>


<h3>2004/02/25(Wed)</h3>
<h4>蓼食ふ蟲</h4>
<p>私は癖のある人が大好きなのは昔から分かつてゐたが、最近、<em>本当に</em>純真な人も好きになつてきた。この<em>本当に</em>といふのが曲者で、さういふ人はあまりゐない。どこかしら、皆純真を装ふものだし、それは当然のことだと思ふけれど、装はない人が言ふ言葉に比べれば本当に他愛のないものだ。なぜなら、本当に純真な人間なほど残酷な人はゐないからである。</p>


<h3>2004/02/24(Tue)</h3>
<h4>入門者への回答</h4>
<p><a href="http://artifact-jp.com/mt/archives/200402/beginnerfollow.html">ARTIFACT −人工事実− | 初心者相手のフォロー</a>にとても共感した。</p>
<blockquote cite="http://artifact-jp.com/mt/archives/200402/beginnerfollow.html">
<p>きつい答え方をしている人を批判する人で、自分がフォローの側にまわったことがないのなら、一度経験すべきです。ほんと気持ちわかりますって。お礼も言われなかったりすると、確実に答える気が萎えます。</p>
<p>でも、冷たい態度で答えても、相手の気分を悪くするのは確かです。だから、サポート側や熟練者、上級者はソフトに答えるスキルが必要でしょうね。初心者の過大な要求をそれは過大な要求であると教えながら。</p>
</blockquote>
<p>すごくレベルを低くして申し譯ないのだけれど、<a href="http://www.hamq.jp/bbsB.cfm?i=zzzzzz&amp;pn=1">ハムスター島公式質問掲示板</a>での経験はもつと凄まじいものだつた。携帯でのwebサイト制作者が殆どだから、検索をしろとも言へない。過去ログを読むにもパケット料金がかかる。だから、酷いときでは書き込みの三つほど下に回答した内容を、また質問されるといふ悪夢のやうなことが起きたし、そもそもこの板、「タグ禁止」設定をしてゐない（実は対策として一部の要素は反映されないやうになつたのだが、それも拔け道がありまして……）から、荒され放題だつたし、撃たれてゐることなんて今でも始終おきてゐる。今でこそ大分落ちついたが。だから、一度ここで回答の経験をしてみれば、大抵の技術系の質問掲示板が素晴らしく秩序立つた有様に見えてきます。お勧めはできませんが、さういふ処もありますよ、といふことで。</p>


<h3>2004/02/24(Tue)</h3>
<h4>不思議用語</h4>
<ul>
<li><a href="http://www.jp-super.com/super-yougo.htm">不思議なスーパー用語集</a></li>
</ul>
<p>うわ、全然知らない。一応、一年くらゐスーパーのレジやつてゐるのに。知つてゐるのは、「サッカー（台）」と「ジャーナル」くらゐ。だつて、レジなんてその辺しかつかひませんよ。その上、ジャーナル紹介するときも、自分のチェックミスに怯えた時に見るくらゐで。それにしても、この辺のジャーゴンでも、サッカー台くらゐはお客さんにも知つておいて貰ひたいなあと思ふ。説明するのにえらく時間がかかる。</p>


<h3>2004/02/24(Tue)</h3>
<h4>globe</h4>
<p>さう言へば一度も言つた事がなかつたのですが、私は中学生の頃からglobeが好きでして、アルバムは全部もつてますし、シングルも殆ど持つてゐますが、それは端的に言つて小室哲也は場末の坂本龍一だといふ私の考へからなんですが、DEPARTURESは人気曲で、私もわりと好きです。ただ、ピアノの小品がそれよりも好きだ。久石譲のやうな中途半端な教授のパクリ方は嫌ひだけど、ここまではつきりやれるのは大したもの。で、その教授は、来週のHEY! HEY! HEY!に登場するやうですよ。昔、ダウンタウンと遊んでゐる（女装したり）のを見て呆れてゐたのだけれど、今でも変らないのでせうかねえ。世界の坂本ねえ。教授からすれば、世界といふ枠自体くだらないことなんだと思ふけれども、だからと言つて女装はやりすぎたと思ふよ。</p>


<h3>2004/02/24(Tue)</h3>
<h4>自負</h4>
<p>質は兔も角、量だけは闇黒日記にも劣らないと自負してやまぬ最近ですが、メッセでsmileに、一日の更新量の多さを指摘され更にその意識を確固たるものにしました。論争をしてゐるわけでもないのに、なぜこんなに次から次へと言ひたいことやらなにやらを書けるのか、自分でも不思議。元々喋り過ぎで口喧嘩では負けないといふ、とつてもいらない性質がさうさせるのか。それとも、文章の推敲も碌にせず、人に見てもらふといふ自意識が決定的に欠如してゐるのか。いづれにしても、このファイルサイズは尋常ではない。</p>


<h3>2004/02/24(Tue)</h3>
<h4>後悔</h4>
<p><a href="http://love2.2ch.net/test/read.cgi/lovesaloon/1068912944/">告白した・されたセリフを書くスレ</a>で、朝から複雑な気持ちに。<a href="http://love2.2ch.net/test/read.cgi/lovesaloon/1068912944/63">63</a>とかは素でヤバいと思ふけど、<a href="http://love2.2ch.net/test/read.cgi/lovesaloon/1068912944/104">104</a>は流石に電波。<a href="http://love2.2ch.net/test/read.cgi/lovesaloon/1068912944/154">154</a>は良くある話。<a href="http://love2.2ch.net/test/read.cgi/lovesaloon/1068912944/206">206</a>は最高に感動して逆に鬱になつた。理由は聞かないで。<a href="http://love2.2ch.net/test/read.cgi/lovesaloon/1068912944/246">246</a>の体験談は青くてこちらがニヤニヤしてしまふ。<a href="http://love2.2ch.net/test/read.cgi/lovesaloon/1068912944/266">266</a>は先輩のツッコミに激しく笑つて、それでも先輩の優しさがいいなあと思つた。</p>
<p>総じて今の自分ではただ後悔しか感じない。</p>


<h3>2004/02/24(Tue)</h3>
<h4>えーと</h4>
<p>また夜から朝にかけてメッセしてゐたのですが、酔つ払つてゐて無茶苦茶なことを言ひまくつていました。特に俺の過去とかフェチとかアレとか、もう、全部。頼みますから忘れて下さい。本当すみません。たまにかういふ時もあるんです。いはゆるぶつちやけトーク。といふか、俺の人生がネタまみれのやうに思はれてゐさう。こんなネタはいらない。</p>


<h3>2004/02/24(Tue)</h3>
<h4>リンク</h4>
<p><a href="http://casa.s20.xrea.com/links.html">Links</a>に二件追加。といふか、復活。おなじみの<a href="http://sins.me.uk/">SINS-ver.IU</a>さんと、<a href="http://gehirn.fleugel.com/">random:99</a>さんです。attackerさんの活動は、サイトが存在してゐるので見てゐたのですが、SECTさんは前回のサイトが消滅してから行方がわからず、リンク修正しようかと思つてゐた矢先だつたので、安心しました。しかもまた凄いデザイン。SECTさんのセンスには本当に脱帽といふか、少しくらゐその才能をわけてもらひたい。さう言へば、お二方も昔はアングラ（死語）界隈での有名人でしたので、私のサイトをリンクをして頂いたとき、屡間違はれましたが、今となつては良い思ひ出です。<a href="http://sins.me.uk/index.php?20040222#20040222_01">UGは今、とてつもなくかっこ悪い雰囲気を漂わせてる</a>を読んで、懐かしさが込み上げて来ました。私がUG界隈を見て周つてゐた頃の話です。<q>ぶっこ抜いたり(&#169;ネットランナー)</q>はしてゐませんでしたが。あと、<a href="http://sins.me.uk/index.php?20040224#20040224_00">アクセス解析など</a>で、徳保さんにime.nuでリンクしてゐるのは笑ひました。</p>


<h3>2004/02/23(Mon)</h3>
<h4>人格と論理</h4>
<p>私は、いくら論争しようが、相手の人格を誹謗したりすることはなく、むしろ興味を持つ方で、例へば、私は徳保さんが好きだ。想像するに、ごく普通の人物に見えながら、話てみると一癖も二癖もありさうで、さういふ面白い人物なんだらうと思ふ。かなり前から私は徳保さんの面白さを言つてゐるのに、徳保叩きの急先鋒とか言はれるのは本当に心外である。私が叩いてゐるのは徳保さんではなく、徳保さんの論理である。きちんと分類して言へば、徳保さんの人格を叩いてゐるのではなく、論理を叩いてゐるのだ。それは野嵜氏にしても同じで、私は野嵜氏も好きだが、それは人格が好きなんであつて、しかし論理はどうしても肯んずることが出来ない箇所があるといふことなのである。これはつまり、議論をしようとする意思のことである。あつさりと言へば、論理を戰はせるのが議論であり、人格を戰はせるのは喧嘩である。前者は文明的行為であるし、後者は非文明的行為である。私は、取り敢へず文明人たらんとするから、論理を否定しても人格を否定しない。ただし、論理の場において、喧嘩腰の態度や、非礼な態度を見出した場合は、喧嘩をするのはためらはない。それだけである。</p>


<h3>2004/02/23(Mon)</h3>
<h4>きたきたきたきたー</h4>
<p>徹夜で遊んで、かへつてパソコンの電源を入れて（もうこの辺でダメダメだと思ふ）いくつかサイトを見て周つてゐたら、来たのですよ、神が！</p>
<p>いや、もつと詳しく言ふと、サイト巡回を終へて、ローカルにあるファイルを所在なさげに見てゐたら、隨分と昔に作つたHTMLファイルとCSSがあつて、なんだらうと思ひ開いてみると、かなりよい感じのデザインがありまして、これなら今のサイトのデザインと配色もあまり変はらないから、リニューアルにはもつてこいだ、といふことになりまして、私としてもデザインのリニューアルをそろそろ考へてゐた時でしたから、嬉々として色々弄つてゐます。なので、ここの更新はちよつと滯りますよ。あと、関係ありませんが、そろそろドメインも欲しいのですよねー。さつきみたら、欲しいドメインであいてゐるのは.jpしかなくがつかり。月300円前後ですが、.comや.net辺りならもつと安いはずなんですが。</p>


<h3>2004/02/23(Mon)</h3>
<h4>web日記の文体</h4>
<p>私はweb日記といふものにとんと興味がない。だから、自分の書いたものが、他人に興味を持つてもらへるとも思はない。なぜなら、webでの表現活動において、殆どの人が「とりかへのきかないもの」を持つてゐないからである。この人でしか表現できぬもの、さういふものをもつて初めて人前に出せるものである。私がblogに反感を覚えるのも、つまりここである。誰もが扱へる情報をただ列挙し、挙句に耳障りのよい言葉や、紋切り型の表現で仕上げた代物が、web上に数へきれぬほど存在すると思へば、人前に出すといふ自意識が欠如した人間の集まりとはかくも醜悪なものであるかとさへ言ひたくなるし、また、自分もその中の一人なのだと意識した刹那から、少くない絶望を感ずる。web日記にしても同じで、表現を意識的に行はうとする人は、大概ある程度の読書体験は持つてゐるから、それを糧に文章を書かうとする。しかしそれがそもそもの間違ひなのである。例へば、新人賞の選考で、既存の作家の文体や語り口を模倣したものが、受賞する道理があるだらうか。そんなものはありはしない。第一次選考は通つても、二次以降、落とされるのは火を見るより明らかである。</p>
<p>例へば、村上春樹氏の文体。クールで落ち着きのある文章を目にするたびに、村上氏の文体の影響の凄まじさを感じるとともに、そこで留まるのをよしとする自意識の停滞にうんざりとする。一人称が「僕」で、すぐに「混乱」したり「夢」を語る文章は、「わりに」よく見る。「やれやれ」。</p>
<p>多くの人が利用するwebで、すべからく「とりかへのきかないもの」を持つべしといふのではない。持つてゐる人は、立派な表現者で、活動する媒体も自然とシフトして行くだらう。重要なのは、持たうとしなければならないといふことである。そのために、「よく出来た」文章を破壊してみせる勇気も必要なのである。</p>


<h3>2004/02/23(Mon)</h3>
<h4>カラオケと駄目人間について</h4>
<p><img src="http://www.poesia.jp/images/karaoke.jpg" class="illust" alt="午前1時のカラオケ"></p>
<p>友人と午前一時にカラオケに行つて来ました。友人は風邪の治りかけで、私はバイトの後。声とかは元々どうでもよいので置いておくにしても、奴が隣で『さよならbyebye』を歌ひだしやがつて、私は相当鬱になりました。</p>
<blockquote>
<pre>さよならbyebye　元気でいてね
私から切り出したけじめだから　キャッチしてよ </pre>
</blockquote>
<p>酷いよ、本当。</p>
<p>ちなみに写真に映つてゐるのは、決して煙草なんかぢやありませんよ？違ひますよ？</p>


<h3>2004/02/22(Sun)</h3>
<h4>文庫收納法</h4>
<p><img src="http://www.poesia.jp/images/bunko.jpg" class="illust" alt="文庫本が重なつてある。"></p>
<p>多くの書棚は奥行きがあつて、文庫本などになると二冊づつ入れることができる。收納の面から言へば良いのだが、しかし私はどうしてもそれが嫌だ。なぜといつて、私はものを考へたり、或は文章を書くとき、本の背表紙を見ながら案を練ることが多いからだ。前面にある本だけを見るのではなく、全ての本を見たい。だから、例へば図書館などにある、奥行きの狹い書棚が欲しいのだが、中々見つからない。仕方無くこのやうに、重ねて入れてゐるのだけど。</p>
<p>ところで今気づいたのですが、岩波文庫の「天」がアンカットなのは有名だが、中公文庫もさうなんですね。</p>


<h3>2004/02/22(Sun)</h3>
<h4>親米派の超近代の思想は大嘘である</h4>
<p>アメリカといふ国の文明、文化、思想、さういふものを丹念に見た場合、アメリカ主義、アメリカニズムといふものは、明かに近代主義であると言はざるを得ない。近代主義に対する構へとして、取り敢へず懐疑の眼差しを向ける者、それが即ち保守である。であるならば、必然保守は反米にならざるを得ない。ところが、世の中には超近代の思想を掲げながら親米を唱へるといふ摩訶不思議な御仁がいらつしやる。</p>
<ul>
<li><a href="http://noz.hp.infoseek.co.jp/column/hanbei4.html">清沢冽に學ぶ――「反米」の不可能なる事/日本を斬る</a></li>
<li><a href="http://noz.hp.infoseek.co.jp/column/hanbei3.html">「反米の旗手？まさか！仏・独・露の無責任」/日本を斬る</a></li>
<li><a href="http://noz.hp.infoseek.co.jp/column/hanbei2.html">「反米」なる危險思想/日本を斬る</a></li>
<li><a href="http://noz.hp.infoseek.co.jp/column/hanbei.html">なぜか反米はやる/日本を斬る</a></li>
</ul>
<p>このリソースの制作者はかの野嵜氏であるが、野嵜氏の数々の名言の中に、<q>人はパンのみに生くるに非ず</q>といふのがある。パンとは即ち「政治」であり、政治的行為によつて得られるものだとするならば、人はそれだけでは生きないし、生きられないといふのはあたつてゐるだらう。しかし、野嵜氏が親米或はそれに類する発言をされるとき、なぜか<q>パン</q>ばかり拘つて語る。<q>人はパン<em title="強調加納">のみ</em>に生くるに非ず</q>であるはずだが。</p>
<p>さらに氏の一貫してゐないところを舉げれば、政治と道徳は峻別されなければならぬといふ主張を、いとも簡単に忘れてゐるといふことである。そもそもこの命題自体誤りなのだが、それは前に詳論したので避けるとしても、およそ反米といふ場合、それは「イズム」、主義、思想の問題であつて、つまりそれは道徳に関することであり、政治に関することではないのだが、親米派は政治の問題に置き換へ、さらに野嵜氏にいたつては、己が否定してゐた政治主義に墮すといふ愚までも犯してゐる。反米派を政治主義と極め付けるに至つては笑止である。</p>
<p>野嵜氏は一貫してゐない。それを意識するしない以前の問題として、人を嘲笑したり罵倒するやうなことをしてゐる。それを否定してゐたのが氏であるはずだ。それも、一貫してゐない。総じて、生き方に対して無頓着である。そんな保守はゐはしない。</p>


<h3>2004/02/22(Sun)</h3>
<h4>禁煙方法考察</h4>
<p>禁煙キャンペーンによつて、お客さんが増えてゐる様子。ありがたうございます。何にもしてゐなく心苦しいので、今までで感じてゐることを公表しておきます。それは、禁煙はしようとすれば出来るといふことです。所々で意思の問題ではないと言はれてゐるやうですが、意思でなんとかなります。ただし、かなりキツイですが。お勧めは、リラックスできる時にしたはうが良いといふことですね。鬱の時や忙しいときに、更にストレスを溜めるのは煙草を吸ふよりも体に悪いことです。といふか、このストレスと煙草の害悪は、匹敵するほどと考へて仕舞ふほどです。それほど、ストレスは溜まります。これを避けるために、禁煙補助剤を使ふのも手のやうです。某ニコレットとかですが。私は、負け組みみたいで嫌なので、意地と根性でのりきつてゐますが。</p>


<h3>2004/02/22(Sun)</h3>
<h4>煙草を吸ひたい</h4>
<p>なんだかんで禁煙して三日たつたわけですが、今が一番煙草を吸ひたい時期だと思ひます。もうね、すごいのよ。煙草を吸ひたいなあと思ひだして、我慢すると、目が回りだすの。ふらふらするの。キーボードで文字を打つてゐるときも、叩いてゐる。ストレスが溜まりすぎです。実は、バイトは二連休だつたのですが、今日ありまして、はつきり言つてレジに立てる自信がありません。</p>
<p>でも、これつて、なんか凌ぐのはそれほど難しくはないのでは。確かに気が狂ひさうになるけれど。</p>


<h3>2004/02/22(Sun)</h3>
<h4>をかしい</h4>
<blockquote cite="http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/omake/diary.html">
<dl>
<dt>平成十六年二月二十一日</dt>
<dd>「政治的正当性」「政治的正当性」と言ふ人とは話をしたくない。</dd>
<dd>「政治的正当性」なんて、その時點での政治體制や論者の政治的信條に適合してゐれば「正しい」だし、反してゐれば「正しくない」になるに決つてゐる。そんなものは、議論すべき事ではない。</dd>
</dl>
</blockquote>
<p>かういふ人が、小泉総理の決断やブッシュの決断を支持して、反米派に向かつて反論してゐるのだから以下略。野嵜氏は一貫してゐないことに一貫してゐる。</p>


<h3>2004/02/21(Sat)</h3>
<h4>火の狐</h4>
<p><a href="http://www10.ocn.ne.jp/~dotnote/diary/200402a.html#date20040214">.note - Diary.note(2004 February [1])</a>周辺でMozilla Firefox 0.8の話が。Revontuletと言ひませう。私も今度からさう呼びます。</p>
<p>で、それは前置きで、紹介されてゐる各種のインストールの奴、入れたら乗換たブラウザより使い勝手が良いのですよ。なるほど、使つてみて初めて解る新しき技術。</p>


<h3>2004/02/21(Sat)</h3>
<h4>友人からのメール</h4>
<blockquote>
<dl>
<dt>禁煙？</dt>
<dd>何があったかはしらんが、ここ数年のなかで最高のギャグだな。</dd>
</dl>
</blockquote>
<p><a href="http://undina.hp.infoseek.co.jp/flash/kamenblade_ondo.html">ｵﾝﾄﾞﾚﾙﾗｷﾞｯﾀﾝﾃﾞｨｽｶｰ!!!!</a></p>


<h3>2004/02/21(Sat)</h3>
<h4>禁煙をするには</h4>
<p>どこかのサイトで、禁煙をするには他人にも禁煙を勧めるのが良いとかなんか書いてあつた気がする。もし私が言はれたら余計なお世話といふ感じなのだけれど、ここは私の禁煙のために犠牲になつてもらはう。</p>
<p>みなさん。喫煙者の肺は見たことがありますか。ないですか。さうですか。では見てみますか。嫌ですか。さうですか。では<em>自己責任</em>でどうぞ。</p>
<ul><li><a href="http://images.google.co.jp/images?q=%E5%96%AB%E7%85%99%E8%80%85+%E8%82%BA&amp;ie=UTF-8&amp;oe=UTF-8&amp;hl=ja&amp;btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2">Google 検索: 喫煙者 肺</a></li></ul>

<h3>2004/02/21(Sat)</h3>
<h4>離脱症状</h4>
<p>禁煙中に無性に煙草を吸ひたくなることを、離脱症状といふらしい。俗に禁断症状とも呼ばれるが、これは禁煙して三日くらゐがピークで、長くとも二三週間でなくなるらしい。その間に、イライラ、頭痛、ストレスを患ふらしい。</p>


<h3>2004/02/21(Sat)</h3>
<h4>旅</h4>
<p>猛烈に旅に行きたい。かういふ気分に、年に数回おそはれる。高校の頃、修学旅行で行つた、京都に、一ヶ月くらゐ滞在したい。私は基本的に逃避衝動が強い人間なんだらうと思ふ。ただ、今回、何から逃避したいのか解らない。解らないが、京都と言へば三年前に私が精神的に（色々な意味で）苦しんだ場所であつた。そこへ行きたいのだから、逃避とも言へぬ複雜な心持である。</p>


<h3>2004/02/21(Sat)</h3>
<h4>イエスタデイ</h4>
<blockquote>
<dl>
<dt>ハル</dt>
<dd>なんでかな　今まであたしは孤独を愛する少女だったのに</dd>
<dd>自分ではけっこうドライでクールなキャラクターだと思ってたのに…</dd>
</dl>
</blockquote>
<blockquote>
<dl>
<dt>ハル</dt>
<dd>ちくしょー　あたしはこんな悲しい抵抗をする女になる予定じゃなかったのに…</dd>
</dl>
</blockquote>

<h3>2004/02/21(Sat)</h3>
<h4>三年前の日記</h4>
<p>私の鬱は相当酷いらしい。今回もさうだつたが、三年前の日記を発見し、見てみたところ、ちよつと引いてしまつた。まるで車谷長吉みたいな描写とか。「汚れた川を見ながら、逆上する血はのぼるとともにやがて静まり、しかし冷めやることはなかった。マグマは大きな感情だった。時として噴出す血はマグマだった。」なんですか、これは。</p>


<h3>2004/02/21(Sat)</h3>
<h4>禁煙と絶対リンク感</h4>
<p>どういふ状況になつたら禁煙成功と言へるのでせうか。吸ひたいと思はないやうになることでせうか？それとも、吸はなくとも良いが、吸つても良いと思ふことでせうか？また、そのやうな境地に達するには、どのくらゐの月日がかかるのでせうか。ぐぐって（謎）みようかと思つたのだけれど、<a href="http://www.internetclub.ne.jp/EASY/20040217.html">絶対リンク感</a>がないのか、見つかりませんでした。</p>


<h3>2004/02/21(Sat)</h3>
<h4>有害な物質を出さない煙草</h4>
<p>口さびしい時にだけ吸いたいといふ場合、害のない煙がしかでない煙草があればいいなあ。都合が良すぎますか。さうですか。</p>


<h3>2004/02/20(Fri)</h3>
<h4>ってか</h4>
<p>なんだよこれふざけんなこんちくしょう禁煙したほうがふらふらするしガムかんでたらあごいたくなるしいいことないじゃんよしかもそのうえに拒否ですよかっこなぞもういっそのことしにてー。</p>


<h3>2004/02/20(Fri)</h3>
<h4>大敵</h4>
<p>禁煙の大敵と言へば、鬱です。ストレスが溜まると吸いたくてしやうがありません。私の場合はストレスといふより、單純に鬱なのですが、つい先ほどさらに輪をかけて鬱になりまして、禁煙用に買つたキスミントガムを四個口に入れてゐるのに気づかず呆然としました。</p>


<h3>2004/02/20(Fri)</h3>
<h4>反響</h4>
<p>はわわ。<a href="http://sins.me.uk/index.php?20040220#20040220_00">加納氏、禁煙宣言</a>とか紹介されてゐる。いやー、本當に禁煙してゐますよ。ただ、かなり禁斷症状がキツイですが。一仕事終へた後とか食事の後とか、無意識に煙草を探してゐますね。</p>
<p>でも今囘は成功しさうな感じがします。今までと<strong>かかつてゐるもの</strong>が斷然違ひまして。ちなみに、禁煙して今、14時間くらゐ經ちました。</p>


<h3>2004/02/20(Fri)</h3>
<h4>北囘歸線</h4>
<blockquote title="『北囘歸線』ヘンリー・ミラー著 大久保康雄譯">
<p>ぼくは諸君のために歌おうとしている。すこしは調子がはずれるかもしれないが、とにかく歌うつもりだ。諸君が泣きごとを言っているひまに、ぼくは歌う。諸君のきたならしい死骸の上で踊ってやる。</p>
</blockquote>

<h3>2004/02/20(Fri)</h3>
<h4>讀書</h4>
<ul>
<li>『町田康詩集』町田康（ハルキ文庫）</li>
<li>『谷間の百合』バルザック（新潮文庫）</li>
<li>『文章の話』里見怐i岩波文庫）</li>
<li>『北囘歸線』ヘンリー・ミラー（新潮文庫）</li>
<li>『万延元年のフットボール』大江健三郎（講談社文庫）</li>
<li>『白髮の唄』古井由吉(新潮社)</li>
</ul>

<h3>2004/02/19(Thu)</h3>
<h4>うあああああ</h4>
<p>禁煙しますよ。決意したのは、今から十二時間前で、ちようど煙草を吸つてゐたのですが、色々な私的理由から禁煙を覺悟したのでありました。と言ふか説明になつてないし。いやまあ、待つだけぢやなくて、ね（この邊リアル知人は汲み取れ）。</p>
<p>しかし、決意したとき、まだ煙草は二本殘つてゐたのですよ。しかしまあ、思い立つたが吉日といふやうなので、やつたのですが、先ほどバイトから帰つてきまして、ありまして、まあ、この二本を吸い終つたらといふことで勘辨して欲しいのだけれども、これがなくなれば、後は絶對に吸いません。本當です。</p>


<h3>2004/02/19(Thu)</h3>
<h4>人は絶望から逃れられぬといふこと</h4>
<p>絶望のない世界こそが理想郷であると多くの人は言ふ。私は、そんな血も出ないやうな清淨な世界を求めない。人は血を出しながら生きて行くのである。私は凡夫であるが、佛教のやうに、そこから救はれやうと思はない。私は煩惱に惱み、その中で生きて行く。一休宗純が言つてゐる。「佛界入り易く、魔界入り難し」</p>


<h3>2004/02/19(Thu)</h3>
<h4>メモ</h4>
<p><a href="http://offtopic.fc2web.com/">off topic</a>經由で<a href="http://klezer.s53.xrea.com/net/">HTML文書作成日記</a>。</p>
<p>面白い。微妙に徳保さん關聯（謎）で恐縮なんですが。</p>


<h3>2004/02/19(Thu)</h3>
<h4>むつかしいところ</h4>
<p>私は東浩紀は好きだが、思想的にはどうしても支持できない。が、それでも、氏の行爲の變遷から、氏の考へる正当性を探つてしまふ。</p>
<p><a href="http://deztec.jp/design/04/02/000116.html">波状言論は「まぐまぐ」を利用すべきだ／趣味のWebデザイン</a>は、その通りなのだらうけれど、私は何か釋然としないといふか、東氏なら<q>個人（と有志）が独力で有料メルマガをやる</q>のは、むべなるかなと思ふところがある。といふのは、東氏は最初、はてなダイアリーを利用してゐたわけだが（今はまた戻つてきた）、譯あつてblogに移つた。確かに、この「譯」は、ツッコミ機能における數々のコメントが問題となつたわけだが、私はそれだけと考へない。東氏はかう言ふ。<q cite="http://www.hirokiazuma.com/hajou/index.html">商業誌に限界を感じ、個人ベースでの批評の場の立ち上げを模索する本サイトの活動</q>と。私は、それがはてなであつても同じなのではないかと思ふし、まぐまぐでも同じなのではないかと考へるのだ。つまり、トコトン個人をベースに考へた場合、どうしても企業とか、さういふものをよすがにすることは出來ず、個人運營でやりきるしかなくなる。それが一應筋の徹つた考へ方だと思ふのです。ですから、<q>何をカッコつけているのか</q>と云ふのはちよつと如何かと思つてしまふ。東氏なりに、誠実にやつてゐるのだと私は考へたい。勿論、現実享受できる利益だけを考へるならば、徳保氏の言ひ分も理解できるし、私もバックナンバーを讀みたいから、むしろそちらの方が喜ばしいのだが。</p>


<h3>2004/02/19(Thu)</h3>
<h4>なるほど</h4>
<blockquote cite="http://www5d.biglobe.ne.jp/~quia/report/2004/2004_02_b.html#date16-3" title="Wind Report - 2004年2月中旬 [QUIA]"><p>法と法律が区別され，前者は権利や正義といった概念と密接に関連付けられていることがわかる。ここで言う法律とは実定法のことであり，法とは（実定法をも含みうる上位体系としての）自然法を指す。この法二元論は，歴史的にはソフィストのノモス・ピュシス論に求めることができるが，ストア派による体系化を経て，トマス・アクィナスの手でキリスト教の教義に編入され，以後今日に至るまで西欧の言語感覚にしぶとく根ざし続けている。</p>
<p>たとえば<a href="http://www.icj-cij.org/" hreflang="en">国際司法裁判所</a>は <span lang="en">"International Court of <em>Justice</em>"</span> であって，<span lang="en">"International Court of <em>Law</em>"</span> ではありえないし，国連海洋法条約は <span lang="en">"Convention on the <em>Law</em> of the Sea"</span> であって <span lang="en">"Convention on the <em>Justice</em> of the Sea"</span> ではない。古ゲルマンの「善き古き法」は <span lang="de">"gutes&#44; altes <em>Recht</em>"</span> だし，ドイツ基本法は <span lang="de">"Grund<em>gesetz</em> der Bundesrepublik Deutschland"</span> である。両者が互換性を有するケースも相当にあるが，それでも両者の使い分け／読み分けは常に意識しておいた方が良い。</p>
</blockquote>
<p>これは勉強になる。さうか、法と法律は違ふのか。違ふといふか、包含關係にあるのか。歴史的經緯で更に納得。さすが法学專攻の平野氏である。かういふアカデミックな説明は割りと好きだ。自分ではしようと思はないけれど。</p>


<h3>2004/02/19(Thu)</h3>
<h4>決着</h4>
<p>例のアレ、決着しました。やつと鬱から解放されます。解放を快方と變換するMS-IMEは偉い。</p>


<h3>2004/02/19(Thu)</h3>
<h4>カスイケ</h4>
<p>自演・自薦・自推騷動の後はカスイケバナー騷動ですか。そんな枝葉の事を論じるスレなんですか。そもそも論じるに値するのですか。うちは意図的にバナーを貼つてゐないが、それも自意識の産物だ。大してイケてゐないといふ自意識があるだけだ。貼つてゐる人は、イケてゐると思つてゐるのかもしれないし、ただ、リンクされてゐるから貼つてゐるのかもしれない。或はCSSの普及の爲頑張つてゐるのかもしれない。そんなこと、誰が解るんだ。解らないことを前提に、何を話合つてゐるんだ。私もいくつかサイトを紹介し、そのうちリンク集入りしたサイトもあるが、さういふ人に對して申し譯ない。カスイケスレは、「CSSでデザインしたイケてるデザインサイト」を論じたり紹介するだけで、充分ではないか。それ以上、何が出來るのだ。それとも、廢れてゐる事をそんなにアピールしたいのか。このスレにお世話になつた身としては、悲しいことだが、それ以上に苛立ちの氣分が強い。</p>


<h3>2004/02/17(Tue)</h3>
<h4>上手く人を譽める方法</h4>
<p><a href="http://d.hatena.ne.jp/ykurihara/20040215#1076831050">http://d.hatena.ne.jp/ykurihara/20040215#1076831050</a>より。</p>
<p><q>中居くんは音痴じゃない!?</q>らしいですが、さう主張する著者を評しての言葉に莫迦ウケ。</p>
<blockquote>
<p>この本は、スマップを「カルチュラル・スタディイズの対象として論じ」たものだ（と著者はいっている）。中居くんだけが対象ではもちろんないのだけれど、全部読んでわかったのは、</p>
<ol>
<li>著者はスマップのファンである</li>
<li>スマップの中では中居くんが好きだ</li>
</ol>
<p>ということだけだった。</p>
</blockquote>
<p>人を譽めるのも大變である。下手をすれば偏愛の所作といふことで、相手にされなくなる。誰か、上手く人を譽める方法を知りませんか。</p>


<h3>2004/02/17(Tue)</h3>
<h4>長かつたけれど</h4>
<p>昨日の夜から朝まで、約六時間、smileとメッセをしてゐた。勵ましてくれて、助かつた。彼女がゐなかつたら、私は今頃酷い有樣で過ごしてゐたに違ひない。物凄く感謝してをります。内容は、凄い眞實の告白もあつたり。私は吃驚したり。笑つたり。泣いたり。濃い六時間だつた。</p>


<h3>2004/02/17(Tue)</h3>
<h4>立直り</h4>
<p>實はここ二三ヶ月、失戀や酷い別れ方をした人の文章を、立て續けにwebで讀んでゐた。<a href="http://sins.me.uk/">attackerさん</a>に<a href="http://sins.me.uk/index.php?20040211#20040211_01">言及</a>されたサイトのアレもさうで（お久しぶりです）、だから自分の身の施し方もそれなりに考へてゐたつもり。逆を言へば、そんなに前に別れを意識してゐたことになります。で結局、別れた譯ですが、今は大分立直りましたよ。「ダメージを受けた」云々と書いた十二時間後ですが。

<h3>2004/02/16(Mon)</h3>
<h4>詩の屍骸は寡默に語る</h4>
<pre>もういいもういいもういいもういいもういいもういいもういい。<br>お前はもういい。俺はもういい。<br>うざつたい精神なんてものを抱へ込んだばかりに<br>我々は我々の、酷く我々なうたを<br>我々と我々のためにうたふ<br>そんなうたは、もう、うたふまい。<br><br>うたはれぬうたは空氣に消えて<br>消えた言葉は<br><br>屍我れに語る。</pre>

<h3>2004/02/16(Mon)</h3>
<h4>發見</h4>
<p>高校生の頃に書いたゐたと思はれる小説の草稿が出てきたから、公會。</p>
<blockquote>
<p>雨が降った。そしてやんだ。街路樹の葉から雫がたれ、光が反射し、方々の昼をさらに明るくした。</p>
<p>私と老人の話が、このたびの戦争に及んだ時に、人々は「02」に入ってきた。火薬が雨に濡れ着ている服の皮に混じり、独特の臭いを放っていた。</p>
<p>老人はただ「爺さん」と呼ばれるだけで、誰も名前を知らない。これはこの島では珍しいことではない。皆、名前なんて気にしないのだ。ここで問題であるのは、いかに楽しむかであって、誰がどうするかではなかった。爺さんがキングのツーペアで私のワンペアを負かしたとき、皆は帰ってきたのだった。</p>
<p>「よう、あんた、今日は中々だぜ。」</p>
</blockquote>
<p>この文體は、一度捨て、また取り戻したもので、自分の中では珍しい部類のスタイルです。「た」止めは書き易いが單調にも成りやすい。</p>


<h3>2004/02/16(Mon)</h3>
<h4>さて</h4>
<p>これからは普通のノートブックに戻ります。哀しいことを、哀しいと言つてもしやうがありません。今はまた自分の體勢を立直すことを專決に。</p>
<p>一應。一度愛した人間と別れる時に、未練を感じない奴なんかいるかこん畜生。それでもそれは隱さなければならない。その邊を解らないのであれば、嫌はれたつて構はない。それぞれの結末は、それぞれがけじめをつけなければならない。</p>


<h3>2004/02/16(Mon)</h3>
<h4>このさき、ゐない</h4>
<p><a href="http://hotmail.s17.xrea.com/index.php?mode=res_view&no=257#257">Netzes</a>さん經由で<a href="http://www.idealstamp.net/ism/digest/a-news.cgi?date=2004.02.09">ideal stamp's montage - 彼がすべて悪いわけではない</a>。</p>
<p><q>きっと、あなた以上に愛する人はこの先いないと思う</q></p>
<p>聞いたそばから嘘八百竝べやがつてと思ふ私が駄目なんだらう。だがその氣持ちも解らぬでもないし、事實、私も何度か言つたことがある。しかし、今囘は嫌な奴を演じて別れますから、絶對に言ひません。彼女、このサイトはもう見てゐないだらうから、言ひますが。</p>
<p>といふか、嫌な奴と思はれて別れる方が樂だ。樂だがそれをする私は非道で畜生である。そんなことは分かつてゐる。だが、さうするしかできないのだ。なぜなら、<q>きっと、あなた以上に愛する人はこの先いないと思う</q>から。</p>


<h3>2004/02/16(Mon)</h3>
<h4>愛とかいふもの</h4>
<p>そこそこの體驗を持つてゐる人なら納得してもらへようが、愛なんてものは終ると呆氣ないものである。むしろ男が引き摺る。私はいつもそれがくだらないと思ひ、凡ゆる懷疑を向け、今にその非を悟らない。それが終結の要因だといふことも知らない譯ではない。だが、さうではないといふ人は、ドストエフスキーの『白癡』におけるムイシュキン公爵のやうに純眞であるか、または度を越した愚鈍なる人である。私は純粹な心なんてものはいらない。私が欲するのは利口と愚鈍の間の平衡點である。しかしそこに向けられた愛は、まづ間違いなく平板で退屈なものに感じ、やはり私から遠ざかつて行く。</p>
<p>「それぞれの結末で一番慘めな者は」と、彼は思つた。「愛に幻滅を覚えた者ではなく、幻滅を呟きながら、なほ己を慰めてやまぬ自分である」</p>


<h3>2004/02/16(Mon)</h3>
<h4>平靜</h4>
<p>いくら分かつてゐたことであつても、やはり現実に直面すればそれなりにショックを受ける。14日に書いたが、さういふ豫想は出來てもしやうがない。それより問題は、事實を受け止めた時に、如何に平靜でいられ、的確な言葉を吐けるかである。私は出來ないし、今でも相當のダメージが殘つてゐる。だが、それも一時の感傷に過ぎないのかもしれない。しかし事實は、別れたといふ事と、好きで愛しててゐるといふ事だけである。またそれも刹那の時の所作といふこともある。いづれにしろ、私はもう、どうしやうもないのである。どうしやうもないが、かうするしかなかつたのである。また一人の日が續く。</p>


<h3>2004/02/15(Sun)</h3>
<h4>あたる</h4>
<p>いくら酷く心が傷ついてゐても、webリソースにあたることはないと思ふよ、俺。</p>


<h3>2004/02/15(Sun)</h3>
<h4>如説修行鈔</h4>
<p>日蓮と言へば『立正安國論』とばかり思つて、他の「御消息」や『開目抄』を讀まないのは、大元をみない愚かの極みである。その信心に如何なる程の強度があつたのか、そを示すのが「如説修行鈔」である。今日の日蓮宗一派では、この文章を輕んじてゐる向きがあるが、良くない。これこそ「正法」の御信心のあり方を説いた文章なのであり、また、この文章は日蓮の生き方を見定めることができる、『開目抄』と竝ぶ研究の好材料である。</p>


<h3>2004/02/15(Sun)</h3>
<h4>戯言無用</h4>
<blockquote cite="http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/omake/diary.html" title="闇黒日記">
<dl>
<dt>平成十六年二月十四日</dt>
<dd>日蓮が、なぜ<q>絶対の真理</q>だと信じたのかを説明しろと言はれても、高橋氏は、<q>日蓮の信仰が導いたひとつの結果</q>以上の事を言へないと思ふ。そして、實際のところ、日蓮が自分の思想を<q>絶対の真理</q>だと信じてゐたとしたら、後ろ楯になるものは何もない、やつぱり思ひ込みだつたのだとしか言ひやうがない。</dd>
</dl>
</blockquote>
<p>これを本氣で言つてゐるならば、それは無知ゆゑの戲言である。日蓮は、自身が體驗した十五年の迫害によつて<q>後ろ楯</q>を得た。諸天善神は法華経の行者を守護すると佛に誓つた。だから、もしこれが嘘であるならば、迫害や暗殺によつて日蓮は死んだはずである。しかさうはならず、十五年もの間、日蓮は迫害を受けながらも生き長らへ、經典の正しき事を立證したのである。『下山御消息』を讀めば解る。</p>


<h3>2004/02/14(Sat)</h3>
<h4>泣き言</h4>
<p>泣きたい。</p>


<h3>2004/02/14(Sat)</h3>
<h4>カオス</h4>
<p>朝方、NHKでweb<em>ページ</em>の作り方をやつてゐた。オーサリングツール全開で。吐き出されるソースに恐怖してチャンネルをかへた。だつて、</p>
<dl>
<dt>お兄さん</dt>
<dd>ぢやあタイトルを作るね。まづタイトルとなる文字を入力します。でも、これだけだと本當にタイトルか解らないよね？<em>だから</em>、「文字を大きくする」を擇びます。そして、<em>中央に寄せて</em>、ほら出來上り。</dd>
</dl>
<p>豫想したHTMLソース。</p>
<pre><code>&lt;center&gt;&lt;h1&gt;&lt;font color="#ff0000" size="7"&gt;ほーむぺーじ&lt;/font&gt;&lt;/h1&gt;&lt;/center&gt;</code></pre>
<p>この後、段組をしたいといふお姉さんがゐたけれど……</p>


<h3>2004/02/14(Sat)</h3>
<h4>もまいら……</h4>
<ul>
<li><a href="http://human2.2ch.net/test/read.cgi/male/1076482531/">【女神様】ﾊﾞﾚﾝﾀｲﾝにﾁｮｺがうｐされるスレ【降臨】</a></li>
<li><a href="http://www.geocities.co.jp/Foodpia/2180/dokuo/dokuo1.html">dokuo1</a>――Flash</li>
</ul>
<p>本當にそれいいのかと。</p>


<h3>2004/02/14(Sat)</h3>
<h4>才氣</h4>
<p>今サイトのリソースを整理してゐて、それで<a href="http://casa.s20.xrea.com/weblogs/syouhen.html">掌の小説</a>を讀んでみたら、驚いた。</p>
<p>これは私が高校二年生の頃、文章の實力をつけようとして書いたものだ。だから別に作家志望だつた譯ではないし、むしろ作家なんてものはろくでなしの職業だと思つてゐた（今でもさう思つてゐる）から、それほど小説を作ることに固執してゐたわけではない。それを今讀んで驚いた。</p>
<p>勿論「硝子の女」のやうな「いかにもオールド文學ファン」な話とか、「踊る妖精」のやうな村上春樹文體を強く意識したものとか、「薔薇の記憶」のやうな三島由紀夫風のデカダンス趣味とか、「花の王国のトンネル使い」のやうな宮崎駿監督のアニメ版みたいな、習作の色濃いもののが多いのだが、それでも「砂漠でキャラバンの足跡を追う」は今讀んだら中々のものぢやないかと思つた。妻が自ら「砂漠」と譬喩する邊なんか、男への当てつけや自尊心と劣等感のアンビヴァレンスが端的にでてゐて良い。これを才氣と呼ぶのは避けたいけれども、それでも明なのは、今これを書けるかと言へば、書けないといふことだ。</p>


<h3>2004/02/14(Sat)</h3>
<h4>種明かし</h4>
<p>徳保さんとのアレは、上人を意識したやつた面が無きにしも非ず。</p>


<h3>2004/02/14(Sat)</h3>
<h4>さうなんですよ</h4>
<p><q cite="http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/omake/diary.html">そこで反對者を惡魔呼ばはりした日蓮は、かなりエキセントリックな人間だつたやうな氣がする。</q></p>
<p>だからこそ日蓮上人は凄く面白い人物なので。上人を研究するのは、佛教に關する研究では絶對に欠かせないはずである。しかも上人は、お題目を唱へる事は、正統的な佛樣の教へであると説いたのだから、これを看過して研究や言及できる道理がない。</p>


<h3>2004/02/14(Sat)</h3>
<h4>現代文章批判草稿</h4>
<p>現代日本人は活字離れによつて文章のリズムも躍動も感ぜられぬやうになつたといふ。なるほどわからないでもないが、私は少し違ふと思ふ。活字の代りに登場したテレビが、實のところ多くの人びとのリズム感を形作つてゐるやうに思はれる。その證左に、とんと活字に興味のない者に文章を書かせてみたらよい。恐らく「が」といふ單語が頻出するはずである。「〜だが」と前の文を打ち消し續き本當の處を述べ、知られざる真実とやらを強調して見せる。まさしく淺薄なジャーナリズムの手法これに他ならない。また主語も同じく「は」「が」他使分けせず、一文に幾度も「は」「が」が登場する。ある程度文章を意識的に書かうとする者は、前に「が」を使つたならば、次は「は」を、或ひは主語を省略せんと努める。主體となる人稱は一文に一つとする、文章の簡素を美と見なした感性を忘れた證左だらう。そして文章構成の段になると、最早平板極まる樣である。情報の列擧に終始し、視點が定まらない。「いつ」を述べ、「どこで」を述べ、「誰が」を述べ、「どのやうにした」かを順番に書く。まるで不出來な新聞のやうである。學校のレポートを見れば解るが、ここのどこかに己の主張を織り込まうとするから、結局無茶な文章が出來上る。これらを總合した文章が、如何に醜惡なる代物になるか、考へるまでもない。尋常小學の兒童の方が、今の新聞記者より餘程ましな文章を書いたものだ。</p>
<p>昔の美徳を<q title="『墨東奇譚』">弔ふに今はこれを那邊に探るべきか。</q></p>


<h3>2004/02/14(Sat)</h3>
<h4>にごりえ・高野聖</h4>
<p>昨日、寝る前に樋口一葉の『にごりえ』を再讀し感服しきり。讀點が非常に少く讀み辛いがそれは始めだけで、後は心地よい律動に變はる。今は泉鏡花の『高野聖』を讀んでゐるがこれまた名文の譽れ高き作品。昔はさほどの感銘を受けなかつたが今は違ふ。鏡花の作品を讀むとゲーテの『イタリア紀行』を思ひ出す。描寫の爲か。</p>


<h3>2004/02/13(Fri)</h3>
<h4>なんだらうなあ</h4>
<p>最近、アクセス數が極端に増へてゐるので、怖くてアクセスログを頻繁に見てゐるのだけれど、別にどこからリンクされてゐるわけでもないのな。喧嘩を賣られてゐるわけでもないし。徳保さんによれば、開設から三ヶ月もすればそのサイトの實力（アクセス數？）が判るさうだが、うちはアカウントを取つてから半年以上放つておいたから、いつ開設をしたのか實は判らないし、そもそもユニークホストだつて大體80前後だから大した事がないんだよね。多分、中堅から大手サイトならこれの10倍くらゐはあるのだらうけれど。</p>
<p>ちなみに、私の體驗した感じで言へば、2ちゃんに晒されるのと徳保さんにリンクされるのは大體同じくらゐ人が増へ、それ以上は野嵜さんのところにリンクされた時ですねえ。意外にもdonzからの訪問者は少ないやうです。<a href="http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-SantaClara/1308/">カスイケリンク集2</a>からは、まあ毎日ちよこちよこ来て下さる程度で、それほどでもないです（だから、スレで自演したり或は自演を疑ふなんてあんまり意味がないよ。と言ふかそもそも、ここに載つたから必ずしもイケてるわけではないのは、うちを見れば自明なことで）。</p>
<p>これではつきりしたのは、本當の弱小サイトなのに喧嘩を賣つたり毎日五つ以上の記事を書いたりする俺は阿呆だといふことです。どこかの掲示板で書きましたが、俺はリスペクトされなくとも淡々と俺の思ふやうにやります。それが気狂ひ沙汰のやうに思はれても。</p>


<h3>2004/02/13(Fri)</h3>
<h4>と言ふかね</h4>
<p>日本人だから西歐の思想がわからないといふのはわかるが、では日本人が日本人の思想がわかるかと言へばさうではない。私にしてみれば、日本人同士であらうがなんだらうが、解ることより解らないことの方が多い。ただ、「解らない」で濟ますことなく、「解らう」とするだけだ。解らないから解らうとするのである。</p>


<h3>2004/02/13(Fri)</h3>
<h4>木を見て森を見ず</h4>
<p>NHKの「この時歴史が動いた」を見てゐて呆れた。個人主義の禮贊と女性の社会進出とやらを、子規や漱石、与謝野晶子を引き合ひにして紹介するといふ内容だつた。漱石の言ふ「個人主義」を極めて皮相的、恣意的に解釋するのは、所謂進歩史観の常套である。また、与謝野晶子の本分であるはずの、文學の才能を拔きに、平塚らいてうらの『青鞜』を持ち出す邊りは馬鹿馬鹿しい限りであつた。子規にしろ漱石にしろ晶子にしろ、どれも秀でた文章技巧や思想を持ち合はせてゐたから研究するに値するのであり、それを拔きに語ることはできない。木を見て森を見ずの類だ。</p>


<h3>2004/02/13(Fri)</h3>
<h4>わからないこと</h4>
<p>正直に言つて、私は西歐の個人主義とはどういふものなのか、わからない。私は日本人だから、日本の「個人主義」の有り樣しかわからない。それとは違ふといふことだが、それとどこがどのやうに違ふか、わからない。皆、キリスト教の影響を云々して語つてゐるが、そのキリスト教なるものもわからないといふ事ではないか。ぢやあ一體、その影響を受けてゐるものの、何を語れるといふんだい。日本と西歐の違ひだの、同じ処だの、そもそもわからないことを前提に、何を言つてやがるんだ。</p>


<h3>2004/02/13(Fri)</h3>
<h4>斬るコーナー</h4>
<p>今、他人の掲示板で「斬るコーナー」をやつてゐます。いい加減にしろよ、俺。</p>


<h3>2004/02/13(Fri)</h3>
<h4>宗教戦争</h4>
<p><q cite="http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/omake/diary.html">或は、或宗派の僧侶が、別の宗派の僧侶を惡魔呼ばはりしたりした事は殆ど無い。</q></p>
<p>たしかに、<q>殆ど無い</q>が、全く<q>無い</q>わけではない。日蓮の他宗の攻撃は凄まじかつた。そして、それは日蓮の信ずる佛教の思想に從つてゐたから、キリスト教のやうな、死を伴ふものではなかつた。だが、さういふ比較が相對的であるとせば、日蓮のも凄いと評して良いと思ふ。</p>


<h3>2004/02/11(Wed)</h3>
<h4>試しに</h4>
<p>今日食べたもの。</p>
<ul>
<li>朝:なし</li>
<li>晝:なし</li>
<li>夕:なし</li>
<li>夜:かつ丼</li>
</ul>
<p>全然駄目ぢやん。</p>


<h3>2004/02/11(Wed)</h3>
<h4>自炊</h4>
<p>少し前から私もリンクしたのだけれど、<a href="http://culture.2log.net/itadaki/">食べたものを淡々と記録するよ</a>が凄く好きだ。自炊をするやうになつたら、私も見習たい。おおじろうさんは私と一つ下くらゐだと思ふのだが、私なんぞは面倒で毎日自炊出來ないだらうと思ふ。それにしても美味しさうだなあ。</p>


<h3>2004/02/11(Wed)</h3>
<h4>え、え？えー！</h4>
<p><a href="http://love.2ch.net/test/read.cgi/ex/1073120078/">【もう】この人とは無理だと悟った瞬間【だめぽ】13</a>はdat落ちしてゐるのですが、<a href="http://misc.2log.net/niya2/">今日も(・∀・)ﾆﾔﾆﾔ</a>にて内容が讀める。いや、本當、酷いといふか、勘辨といふか、どう表現すればよいのですか？世の中色々なことがあるのですねえ。いや、そんなんで濟ませられないよ、これは……。</p>


<h3>2004/02/11(Wed)</h3>
<h4>ぼくは</h4>
<p>W3C信者ぢやありません。ISO-HTML信者です。</p>
<!--http://www.domperi.net/bbs/peri.cgi?i=res&no=29-->

<h3>2004/02/11(Wed)</h3>
<h4>えーと。。。</h4>
<p><a href="http://tirukuru.jp/diary/2004_02_2.html#t11a">2004年02月中旬の本草兎目</a>にて。解決ださうです。</p>
<p><q>良い子の皆は絶対にやっちゃ駄目だぞ！</q></p>
<p>( ﾟωﾟ)ノ</p>


<h3>2004/02/11(Wed)</h3>
<h4>だけど/だけれど/だけれども</h4>
<p>確か荷風が、「今時のをんなは『だけれども』を略して『だけど』と言ふ。これほど耳障りで不快な言葉はない」とか何とか言つてゐた氣がする。私も文章を書くときや、喋るとき、出來るだけ「だけれど」或ひは「だけれども」と言ふやうにしてゐる。一度氣になれば氣になつてしやうがない。</p>


<h3>2004/02/11(Wed)</h3>
<h4>基本圖書</h4>
<p><q cite="http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/omake/diary.html">と言ふか、『我と汝』は基本圖書だと思つてゐたけれども。</q></p>
<p>基本圖書です。文藝批評をやるのにサント・ブーヴを讀んでゐなかつたり哲學をやるのにハイデガーを讀まなかつたり保守思想を語るのにチェスタトンやT.S.エリオットを讀まなかつたり。一體何をやりたいのか。ポストモダンの人つて勤勉だと思つてゐたが、それは彼らのジャーゴンから發せられる感覺から來るもので、眞實ではない。</p>


<h3>2004/02/11(Wed)</h3>
<h4>さういふ讀み方ですか</h4>
<ul>
<li><a href="http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0402a.html#p040207b">http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0402a.html#p040207b</a></li>
</ul>
<p>御両人に藝があることは認めるにしても、それは常に二義的なものの筈だ。それが第一義的存在として許されるのはエロゲーとかアニメの話で、キリスト教などの話にまで解釋を擴大するのは多分野嵜氏が反對すると思ふ。面白さを第一に考へる高橋氏との論爭において、それは表明ずみだと思ふのだが。と言ふか、<q><em>ネット上の論争の多くが辿る「最初は理性的だが、だんだん混乱していき、最後は罵倒合戦になる」という展開に至らず、緊張を孕みつつも議論が継続していること。</em></q>つてそんなに珍しいのですか。珍しいなら、それこそ日本人の議論下手は證明されるやうなものだが、これが（眞つ當とは言はないが）普通の議論なのではないのですか。私が興味あるのは、一聯の議論で野嵜氏が政治、道徳、キリスト教、論理等において、一貫した主張をしてゐるかといふことだ。私は前に書いた通り、氏の論理は一貫してゐないから、間違ひだと思つてゐる。</p>


<h3>2004/02/11(Wed)</h3>
<h4>著作權の話とか</h4>
<p><a href="http://tirukuru.jp/diary/2004_02_1.html#t09a">2004年02月上旬の本草兎目</a>でちるくるさんがブチ切れ。詳しく分らないので何とも言へないのですが、無斷轉載はその程度や引用文と本文との主從關係、その區別、出典元の明記が爲されてゐて初めて赦されるのですが、見聞きした限りではどれも滿たしてゐないやう。うちのやうな超が付くほどの弱小サイトは、このやうな事に惱むことはないのですが、それでもされたら頭に來るだらうと思ふ。恐らく言ひ逃れをするだらうから、もつと手に終へない。</p>
<p>餘談ですが、僕は兎好きで腰痛持ちです。アレだな（謎）。</p>


<h3>2004/02/11(Wed)</h3>
<h4>エロス</h4>
<ul>
<li><a href="http://folio.daa.jp/index.htm">Folio</a></li>
<li><a href="http://folio.daa.jp/04/">Folio vol.4</a></li>
</ul>
<p>殆ど斜め讀みなので恐縮なのだけれど、題材がエロスなのにプラトンに言及する人が誰もゐないといふのは如何。昔むかし、プラトン的エロスを題材に小説をでつち上げようとした少年がゐて、彼はかう氣づいた。そこにはあらゆる現代的諸問題が内包されてゐると。もちろんD.H.ロレンスもその文脈に入つて來るわけだが、そこまで行くと彼の手にはをへず、たうたうその小説の完成を諦めてしまつた。</p>
<p>性欲とか快樂だけがエロスですか。</p>


<h3>2004/02/10(Tue)</h3>
<h4>まつたり</h4>
<p><a href="http://pc2.2ch.net/test/read.cgi/hp/1074254818/425-429">CSSでイケてるデザインサイト 20</a>のこの辺、いゝ感じだけれどもウケた。</p>


<h3>2004/02/10(Tue)</h3>
<h4>漢字</h4>
<p>御氣付きの方もいらつしやるだらうと思ひますが、正字→新字→正字にまた戻りました。どうも正かなに新字は似合はないやうな氣がして。</p>


<h3>2004/02/10(Tue)</h3>
<h4>何か違ふ</h4>
<ul>
<li><a href="http://www.mozilla.org/products/firefox/">Mozilla Firefox - The Browser&#44; Reloaded</a></li>
</ul>
<p>不死鳥→火の鳥→レッサーパンダ？ だんだんをかしい事になつてゐる。</p>


<h3>2004/02/10(Tue)</h3>
<h4>實は</h4>
<p>バイトを來月の二十日づけで辭めるのですが、もうやる氣がありません。既に心は引越しの方に。最後だからこそ一生懸命仕事しなければならないのは分かつてゐるのですが。と言ふかそもそも、もうバイトなんかするかこん畜生とか思つてゐたり。これもすべておばさんコンプレックスの所作です。最惡です、あいつら。</p>


<h3>2004/02/10(Tue)</h3>
<h4>あああ</h4>
<p>他人の掲示板で熱く語るのはやめろ＞自分</p>


<h3>2004/02/10(Tue)</h3>
<h4>月曜映畫</h4>
<p>今日の月曜映畫で大うけした私はちよつとアレなんだらうが、まあある意味面白かつたよ。アメリカ人は嫌ひな人種ではない。と言ふか、私は日本人が大嫌ひなんですが。</p>
<ul>
<li><a href="http://www.ntv.co.jp/getsuyo/h160209.html">元大統領危機一発</a></li>
</ul>

<h3>2004/02/10(Tue)</h3>
<h4>詩的センス</h4>
<p>教授の題名のつけ方には当り外れが大きい。「青猫のトルソオ」なんかは上手いなあと思ふのだけれど、「ELEPHANTISM」になるとさすがに酷い。象主義ですよ、象主義。昔矢沢永吉が「アリよさらば」なんて歌つてゐて、アリつて何かと思つてゐたら、「蟻」のことで爆笑したのだけれど、それとあまり大差ない。今回の「Ngo」にしても、最初は<acronym title="nongovernmental organization">NGO</acronym>(非政府組織)を、「教授なら」と連想したもので、教授の詩的感覚は疑つてかからないとだめみたいだ。</p>


<h3>2004/02/10(Tue)</h3>
<h4>Ngo</h4>
<p>着メロサイトで坂本龍一の新曲『Ngo』（「んごー」と読むらしい）をゲット。アルバムはお金がなくてまだ買つてゐないのだけれど、これを聴くと、まだまだ才気が感じられる。初期教授の良さと後期の良さが見事に融和してゐて素晴らしい。と言ふか、この達観した感じは後期独特ですねえ。これをピアノでやるとまた違ふ感じにもなりさう。お勧め。</p>


<h3>2004/02/09(Mon)</h3>
<h4>道弁</h4>
<ul>
<li><a href="http://pc2.2ch.net/test/read.cgi/hp/1060694407/907-909">CSSコミュニティの功罪を懐かしむスレ 14th 907-909</a></li>
</ul>
<p>多分それ、北海道。</p>


<h3>2004/02/09(Mon)</h3>
<h4>さうですねえ</h4>
<blockquote cite="http://deztec.jp/design/04/02/000087.html" title="……いや、そうでもないか／趣味のWebデザイン"><p>私はソースを見た場合を基準として書いています。基本的に HTML を学ぶ際に（いわゆる）ブラウザは害悪でしかありません。「表示結果」を説明に持ち出すから、HTML の基本概念を誤解するのです。まず HTML をマスターし、次にスタイルシートという、データと表現をつなぐ概念を学び、そうして初めて、HTML 文書が各種 UA に解釈された状態を示すのが筋です。</p>
</blockquote>
<p>いやいや、それは前提として分かつてゐることとしての話を。私が言つたのは、HTML 4.01以前に存在してゐたdeprecated elementsを、世の人々や二大ブラウザが率先して採入れた背景には、なかなかの妥当性があつたんだといふ話で、それはあくまで妥当性の領域の問題であつて、正当性の話ではないのですよ。だから徳保さんの意見とはあまり違はないのです。しかし、テキストファイルにおける「明示」にだけ拘はるのは如何かと。各要素が暗示されるものであるといふ前提は、仕様書を読めば分りますが、UAの表示結果に屡注文がつけられてゐるわけで、それを考慮すれば人は見た目から判断することが多く、それが慣習としてのこつてゐるから、HTMLは正しく暗示し、それを分りやすく伝へるためにCSSを使ふといふ、これもまた極めてむつかしい事を教へなければならず、その両方を同時に教へて初めて入門者は理解できるわけです。しかしそれは「むつかしい」から苦労するのであつて、教へるときは一朝一夕で出来るものではないと念を押すことが大事なのではないでせうか。</p>
<p>と言ふか、徳保さんはCSSをあまり大事に思つてゐないやうだから、この辺、意見が食ひ違ふかも。</p>


<h3>2004/02/08(Sun)</h3>
<h4>アレの話。</h4>
<p><span lang="it">CASA</san>うちのサイト名です。では、なんて読むんですか？</p>
<p>いやいやいやいや、僕は知つてゐますよ。もちろん、知つてゐますよ。ただね、ほら、何せイタリア語ぢやないですか。英語ならもう余裕なんですけれどね。知つてゐるのに「英語<em>なら</em>もう余裕」とかわけがわからないが流すとして、皆わからんだらうと。教へてやらうと。さういふ僕の善意は名もなき草花のやうに美しく健気なわけですよ。その辺汲取れと。</p>
<p>でだ。まだネタで本当は知らないんだらうと思つてゐる人がゐると思ふので、解説すると、意味は「家」といふ意味なんですよ。つまり「いんたーねっと」の「家」といふ意味なんですね。要するに「ほーむぺーじ」なんであつて、僕のブラウザのホームページはblankなんですか、それは兔も角、きちんと意味があるわけです。ね、俺は意味をきちんと知つてゐたでせう。なんて読むかは知りませんが。</p>
<!--一応。多分「カーサ」と読むと思ふ。ただ、所々で「カーザ」と読んでゐるところもあつて、どちらかは分らない。知つてゐる人がゐたら教へて。-->

<h3>2004/02/08(Sun)</h3>
<h4>遂に</h4>
<p>某スレがdat落ち。誰か保守しろよ。</p>


<h3>2004/02/08(Sun)</h3>
<h4>契約完了</h4>
<p>某社との契約も済み、後は私が引つ越すだけといふ状態。勿論、その前に荷物を纏めなければならないし、今の部屋を片付けなければならない。と言ふか、引つ越しは一ヵ月後です。</p>


<h3>2004/02/08(Sun)</h3>
<h4>あれ</h4>
<p>寝不足で疲れてゐながら書いた下の文章、なんか変。主語と述語の対応とか。</p>


<h3>2004/02/08(Sun)</h3>
<h4>ですが、</h4>
<p><q cite="http://members.jcom.home.ne.jp/pctips/www/introduction.html">タグ(tag)によつて要素(element)の明示(マーク附け、マークアップ)のなされた或テキストファイル</q>といふ言ひ方は正しいのです。なぜなら、この文章はUAの表示結果において「明示」されるといふことではなく、<q>或テキストファイル</q>を<q>明示</q>するものといふ文章だからです。</p>


<h3>2004/02/08(Sun)</h3>
<h4>HTMLは<del datetime="2004-05-31T02:47:48+09:00">文章</del><ins datetime="2004-05-31T02:47:48+09:00">文書</ins>構造を明示するものか</h4>
<ul>
<li><a href="http://deztec.jp/design/04/02/000087.html">……いや、そうでもないか／趣味のWebデザイン</a></li>
</ul>
<p>と言ふかそもそも、HTMLは<q>文書構造を「見た目以外の何か」によって<em title="強調加納">明示</em></q>することなのでせうか？私は最近、<em>暗示</em>することなのではないかと思つてゐます。UAの表示結果に拘らないテキストーベースブラウザのやうなUAを正当なものであると認めるならば、HTMLは<del datetime="2004-05-31T02:47:48+09:00">文章</del><ins datetime="2004-05-31T02:47:48+09:00">文書</ins>構造を見た目からは明示され得ないと言へないでせうか。これは視点の違ひ（ソースに視点を置けば明示することになる）ですが、例へば紙上において、ソースは制作者の頭の中にあり、文章構造は殆ど見た目からしか判断出来ません。だから原稿用紙の使ひ方に気を配らなければなりませんし、基本的な文章の構造といふものもあるのでせう。さうであれば、紙媒体からWWWへの移行といふ多くの人が辿るであらう道筋から考へれば、物理マークアップによる文章の明示作業にもなるほど中々一理あるといふことになります。ですから、HTMLは<q>文書構造を「見た目以外の何か」によって</q><em>暗示</em>するもの、と教へないと、紙媒体的思考から抜け出せないのは道理ではないでせうか。</p>
<p>しかし、野嵜氏のこの記事を言及してゐる箇所の<q cite="http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/omake/diary.html">だからやつぱり日本人は「目に見えるもの」しか氣にしない</q>や<q>某コミュンが歐米の人々よりも尖鋭的なのは、やつぱり後進國特有の現象</q>といふ分析は、間違ひではないものの、一面的なものの見方だと思ひます。先に言つたやうに、日本人も欧米人も、紙媒体から出発したのは同じですから、同じ間違ひを犯してゐます。結局グーテンベルク移行の我々にとつて、紙媒体での常識をHTMLに導くことは当たり前と考へるべきで、しかもその常識もあながち間違ひではないといふ問題もあるわけです。その証左に、CSSといふものがあるのですから。</p>
<p>ちなみに、この文脈において、CSSはHTMLと同様に大事なものなんだと私は主張します。CSSは「修辞」の一つと考へるからです。</p>


<h3>2004/02/07(Sat)</h3>
<h4>東京都下某所</h4>
<p>本当に某所は何もないところなのですね。文豪の墓があつたりするはずなんですが。で、多分私はそこに住む事になると思ふ。新築物件だが、狹いのが欠点。だから本棚は幅が狭いのを選ばなければならない。他あまり特筆すべきことはないのだけれど、近くに交通量の多い道路があり、騒音はそれほど心配ではないにしても、排気ガスの心配がある。部屋は光回線が入つてをり、基本的な生活道具も揃つてゐる。浴室換気乾燥機もある。敷金・礼金なし、光熱費タダ。駅まで徒歩5〜7分。しめて一月8万円くらゐ。ちよつと高いやうな気もする。</p>


<h3>2004/02/07(Sat)</h3>
<h4>下見</h4>
<p>次に住む予定の物件の下見に、今日の午後二時に行く予定なのですが、寝てないのでキツイと思ふ。この物件、多分光回線がすでに入つてゐる。もう引きこもり決定。早すぎ。</p>


<h3>2004/02/07(Sat)</h3>
<h4>眠れない</h4>
<p>誰か特別な道具を使はずともすぐに寝られる方法を知りませんか。羊を数へるとか半身浴とかではなしに。</p>


<h3>2004/02/06(Fri)</h3>
<h4>（　・ω・）フニ</h4>
<ul>
<li><a href="http://human.2ch.net/test/read.cgi/honobono/1072073182/l50">（　・ω・）ﾌﾆﾌﾆ　だけでさらに意思疎通を試みる</a></li>
</ul>

<h3>2004/02/06(Fri)</h3>
<h4>つひにやつちまつたよ</h4>
<p><del>阿呆ですね、俺。何のことかわかつても気にしない。まあハンドル使つてゐるから、その分どこかで個人証明しておかねばな、と。</del><ins>やつぱりやめた。少しだけ（三十分だけ）公開してゐたけれど、見た人は内緒。</ins></p>


<h3>2004/02/06(Fri)</h3>
<h4>アマゾンで</h4>
<p>いつも思つてゐたのだけれど、<a href="http://feel.cheap.jp/">yuさん</a>の本の趣味は素晴らしいと思ふ。「アマゾンでお買い物」の項目を見れば分るけれど、今見たら<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/475843042X/ref=sr_aps_b_1/249-9245538-2714721">町田康詩集</a>と<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003311515/qid=1076021648/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-9245538-2714721">茶の本</a>ですよ。私は、前者は今注文中で、後者は実家にありますが、このラインナップを何食はぬ顔で紹介してゐるところがすごい。かういふかたにリンクして貰つてゐるといふのは幸せですねえ。</p>


<h3>2004/02/06(Fri)</h3>
<h4>技術系</h4>
<p>さう言へば、うちは技術系サイトと一時期間違はれてゐたのだけれど（理由は不明）、全くそんなことはなく、そもそも私には技術なるものはありません。プログラムさへ作れないのですからねえ。で、ちよつとcodeなんかでマーク付けしてみたら、それつぽくなつた。技術系サイトはpre + codeでそれらしく見せることができるといふ法則。</p>


<h3>2004/02/06(Fri)</h3>
<h4>できた。</h4>
<p>下の、空白を入れなかつたらできた。なんで？</p>


<h3>2004/02/06(Fri)</h3>
<h4>GUI派の苦労</h4>
<p>前のタブブラウザのマウスジェスチャーの設定をSylera2でも同じにしようとしてゐるのだけれど、できない。例へば、「戻る」場合は</p>
<pre><code>CmdGoBack      = Left</code></pre>
<p>としてやれば良いわけですが、私は「閉じる」時はマウスを引く（下げる？）ので、</p>
<pre><code>CmdCloseView      = Down</code></pre>
<p>かうなるはずなんですが、なりません。もちろん再起動しましたし。をかしいですねエ。</p>


<h3>2004/02/06(Fri)</h3>
<h4>と言ふかアレなんだよな</h4>
<p>反米とか言つてゐるけれども、多くの保守はやはり反米なんだと思ふよ。ぢやなきや筋が通らないもの。ただ、政治からのアプローチと、観念からのアプローチの違ひで主張まで違ふやうに見えるといふことなんだと思ふ。私が言つてゐるのは、精神の話をしてゐるのに、政治の話を持ち出すなと言ふだけだ。西部氏が言つてゐる。</p>
<blockquote title="『反米という作法』（小学館）">
<p>僕はこれまで反米的と思はれる言辞を山ほど弄してきましたけれど、アメリカそのものを批判したことはほとんどないんです。アメリカ的なるものは、文明論的にどうしてもうなずけない。だけどアメリカにはアメリカのやむを得ない事情があると、ましてやアメリカ人にはそこに生まれたといふ運命は如何ともしがたいのだと、僕は何度も書いてゐるんです。</p>
</blockquote><p>でも、この本の題名はをかしいと思ふ。</p>


<h3>2004/02/06(Fri)</h3>
<h4>危ない</h4>
<p>何を血迷つたか、自分の顔を晒すところでした。アップしてすぐに削除。</p>


<h3>2004/02/06(Fri)</h3>
<h4>ブックマークの整理</h4>
<p>この間書いた通り、常用ブラウザを乗換たので、ブックマークも整理しなおすことになりました。隨分とすつきりしたのですが、ただ面倒で入れてゐないフォルダがあるだけだつたり。</p>


<h3>2004/02/05(Thu)</h3>
<h4>をかしい</h4>
<p>今、西部邁氏の紹介用コンテンツを作成してゐるのだけれども、あれほど有名でも殆ど読まれてゐないのだなアと実感。どうして碌な才能もないのに読まずに批判なり評価することが出來ると思ひ込めるのでせうかね。わたくしはとつくに才能のなさを自覚してゐるから、それなりに頑張らうとする。しかし怠惰な人間は、天才にだけ許される怠惰をもつて己れを正当化する。かういふ人が<q>道徳的怠惰</q>だの<q>知的怠惰</q>だの言ふのはちやんちやらをかしいと言ふのだ。</p>


<h3>2004/02/05(Thu)</h3>
<h4>断片への批判</h4>
<p>この間野嵜氏の愚かたるゆゑんを書いたが、それはどうやら師匠の松原正（あへて呼び捨てにする）も同様であるらしい。批判すべき人の書物を論ずる場合、学者ならば特定の書物だけではなく、他の書物にもあたる。それをせず、一方的な解釈ならびに悪罵を投げつけるは「人非人」のなせる業である。</p>
<blockquote cite="http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/text/Hoshutohananika01_19.txt" title="「保守とは何か」第一囘〜第十九囘(text)"><p>知的怠惰は即ち道義的怠惰だと私はこれまで屡々書いた事がある。西部の駄文を讀むとそれを改めて痛感する。例へば西部は、高校生の頃「妹を交通事故に遭はせるといふ失策をやつた」といふふうに書く。具體的な事を何も書いてゐないから、どの程度の交通事故だつたのかは解らないが、假に輕度の鞭打症で何の後遺症も遺らなかつたとすれば、西部は己れの「孤獨」を正當化すべく妹を利用した事になる。そんな辛い「失策」をやらかしたのなら「自閉的であり續け」たのは是非も無いと、お人好しの愚かな讀者が思つてくれる。一方、重い後遺症に今もなほ妹が苦しんでゐるとすれば、西部の言ひ種は道義的に許し難い。それ程の「失策」はもはや失策ではない。後遺症に苦しむ妹を見る度に、兄の胸は痛む筈で、その場合「失策」などといふ輕い言葉は斷じて使へないし、平氣で使ふ奴は人非人である。無論、過失致傷罪は故意犯ではなくて親告罪だが、妹が訴へなくても兄の心には深い傷跡が遺つて、「失策」を文章に綴らうなどといふ氣には金輪際なれない。獨りきりで己が心の傷跡を見詰めるといふ事、それは頗る道徳的な行爲なのである。</p>
</blockquote>
<p>かういふ<q>駄文</q>を綴りながら大学名誉教授とは笑止千萬と言つてよい。西部氏は『人間論』において、妹の事故についてより詳しく書いてゐる。これを読んでみれば<q>己れの「孤獨」を正當化すべく妹を利用した</q>こともなく、それを文章にすることが<q>道義的に許し難い</q>事でもないことが分る。しかし松原は読まないから<q>解らない</q>。<q>解らない</q>ならば人を批判することはできない。できないものを無理にでもしようとすれば、それは悪意による誹謗中傷に満ちた<q>駄文</q>にしかならない。松原のそれは批判ではない。批判といふ名を借りた悪罵に過ぎない。それを松原は気づかない。だから松原は愚かでありその人を慕つてやまぬ野嵜氏も愚かなのである。</p>


<h3>2004/02/04(Wed)</h3>
<h4>いゝですねえ</h4>
<p>Mozilla系は本当に良い。レンダリングの柔軟性とはかういふ事をいふのではないのですか、MSさん。Operaはまだちよつと不安定な感じがする。兔も角、真面目にデザインをしてゐる人に敬意を持つ人間は、乗換るのが道理。</p>


<h3>2004/02/04(Wed)</h3>
<h4>Geckoエンジンのタブブラウザ</h4>
<p>わたくしがずつと探し求めてゐた、Geckoエンジンのタブブラウザがあることを<a href="http://www.domperi.net/bbs/peri.cgi?i=res&amp;no=6">ドンペリさんにｱへてもらひました</a>。<a href="http://www.zawameki.net/sylera/">Sylera2</a>といふやつです。ちよつと使つたのですが、かなり良い具合。おそらく今後はこちらに以降するでせう。ブックマークの數が半端ではないので、完全に移行するのには時間がかかりさうですが。</p>


<h3>2004/02/03(Tue)</h3>
<h4>カスる</h4>
<p>はてなダイアリーの方をちよつとカスケーディング・スタイルシート（CSS）によつて裝飾してゐた。略してカスつてゐた。</p>
<p>何でも略すな、と思ひつゝ、心の中では連發してゐる言葉。嫌ですねえ。</p>


<h3>2004/02/03(Tue)</h3>
<h4>儀礼的無關心</h4>
<p>巷では儀礼的無關心が云々とやつて、大分纏つてきたやうだけれども。要するに、リンクする/されるの二分法では収まりきらないから、その中間をいかに埋めるかといふことだと思ふのだけれど、それつてそもそもをかしいのではないのですか。WWWが誕生し世に廣まつた瞬間から、儀礼的無關心なんてものは無視するやうに仕組まれてゐたわけでせう。だつて、WWWは「いつでもどこでも誰でも」閲覽できるのが特徴といふ垂れ込みだつたはずで、そこでは自覺的に無關心を装へといふ所謂「儀礼的無關心」の原理は矛盾として排除されるはずなのだから。ゆゑに、儀礼的無關心を要求する人には、もつと自意識を徹底しろと言ふ他ない。これは「リンクする/されるの二分法」では決してなく、リンクされるのは当たり前なんだから、さういふ前提のもとにリソースを作成する心構へを持ちませうね、といふ啓蒙にすぎない。それが「リンクは自由」と主張してきた人たちがとるべき態度でせう。さういふ人が、儀礼的無關心を有效にすると言つて主張するのは筋が通らない。</p>


<h3>2004/02/03(Tue)</h3>
<h4>なんだらうね</h4>
<p>正字正かな遣ひになつた途端、アクセス數が増えたとか。そんなに珍奇なものですか。と言ふか、言つてゐる内容は全く變つていませんよ？正字正かなを遣ふと文才が開けて素晴らしい文章が書けるとか、さういふことぢやないでせう。</p>


<h3>2004/02/03(Tue)</h3>
<h4>何と言ふかですね</h4>
<p>田久保氏の發言は、實のところ自分達に對して言はれると一番痛いところだから、先手を打つたやうなものだとわたくしは思つてゐる。元々CIAの調査でも大量破壊兵器の存在の可能性は疑はれてゐたのであるらしいし、その責を問はれて長官は辞任した。アメリカは、どう考へても輕率の譏りを免れないのである。ただ、ここで一言確認しておきたいのは、反米派（わたくしを含む）が当初から大量破壊兵器の存在を否定してゐたかと言へば、さうではない。当たり前である。ごく平凡な、そして極東に住む我々が、どうしてアメリカやイラクのトップシークレットを知ることができようか。我々が言へたのは、當時公會されて限定された情報の中で、確たる證據がない限りイラクを攻撃すべきではなく、攻撃するならば、もつと證據を揃へるべきだといふことであつた。だから、あの段囘においてイラクに核兵器が存在しないと述べた反米派はいない。親米派は、ブッシュの知り合ひなのか、攻撃して占領さへすれば、兵器は發見できると言つてゐた。そして、戰闘終結は早期に終るだらうと言つてゐた。結局、全部嘘だつたではないか。だから、本當は反米派が親米派に向かつて、「一體どんな顔をしてゐるのでせうかね」と嘲笑したいところなのだ。</p>


<h3>2004/02/03(Tue)</h3>
<h4>親米派の卑怯</h4>
<blockquote cite="http://deztec.jp/design/04/02/000080.html" title="イラク戦争はなぜ起きたか／趣味のWebデザイン">
<p>私がイラク戦争について意見を書かなくなってしまったのは、ようするに大量破壊兵器が見つからなかったからです。産経新聞は、「でもフセイン政権が倒れてよかったじゃないか」といいますが、私はそんな戦争なら賛成しなかった。もちろん、悪い方に転んでもフセイン政権が倒れるという次善の果実があるよね、という考えはあったけれども、それが第一義であってよいはずはない、と思っています。</p>
<p>仮に日本に独裁政権が誕生したとして、国民が大規模な反政府運動を全国的に、全国民的に展開もしないうちに、アメリカがやってきて政権を倒したとしましょうか。嬉しいですか、それで。嬉しい、という人はイラクにもたくさんいたけれど、みんながそうであるはずはなくて、私はそうでない方の一人だと思います。卑近な例えを持ち出すなら、愚行権というものもあるわけであって、助けも求められないうちから他人が干渉するのはいかがなものか。大量破壊兵器云々というから、みんなの不安要因だというので「やっつけろ」となるのも致し方ないと考えたのに、いつの間にか虐げられてきたイラク国民を救済したんだという話になっている。つまらないことになってしまった、と思います。</p>
</blockquote>
<p>全くその通りです。と言ふか、なんでこんな正鵠を得た發言が出來るのに、あんな論爭になつたんでせうか。これを見る限り、多分、責任の一端はわたくしにあつたのだらう。それは兔も角、親米派がすり替へた大義名分の矛盾を突いてゐるといふ一點からもこの記事は優れてゐる。いつどこでフセインを拘束して民主主義をイラクの地に誕生させることが大義名分だとブッシュは言つたんでせうね。ブッシュは國聯においても演説においても、大義は「大量破壊兵器を有するフセイン政權を崩壞させること」と言つたのですよ。それを親米派の田久保氏なんかは、フセイン拘束で大喜びし、「反米保守派はどんな顔をしてゐるでせうかね」なんて言つて嘲笑つてゐる。阿呆かと。</p>


<h3>2004/02/03(Tue)</h3>
<h4>論理學</h4>
<p>論理學を中學のころにかじつてこの方、殆どその方面の書物に目を通してゐない。これはいささか拙いと思ひ、また、興も湧いてきたことだから、少し勉強してみようと思ふ。</p>


<h3>2004/02/03(Tue)</h3>
<h4>次期デザイン</h4>
<p>今のスタイルがベストのやうな氣がするのですが、進歩がないのでデザインを變へてみようかと思つたけれど、そんなに惡いデザインぢやないから、このままでも良いやうな氣もする。シンプル過ぎるつて？ここが良いのではないですか。偉い人には以下略。</p>


<h3>2004/02/02(Mon)</h3>
<h4>キリスト</h4>
<p>あー、例の四つの點を見つめ續けると<del>又吉</del>イエス･キリストがでるフラッシュ、三囘連續で見てゐたら、blank時の畫面にまで出てきて困つた。僕は佛教徒です。</p>


<h3>2004/02/02(Mon)</h3>
<h4>心得</h4>
<p>女の子が髮を切つてゐたら、すぐに氣づいてあげること。下心があるときは譽めてみること。云々。</p>
<p>こんな男ばつかりなんですか、まつたく。</p>
<!--俺ぢやないよ。違ふつて。-->

<h3>2004/02/02(Mon)</h3>
<h4>變體假名</h4>
<p>荷風の『雨瀟瀟』の一節。</p>
<blockquote title="永井荷風『雨瀟瀟・雪解 他七篇』（岩波文庫）"><p>家の娘は今高等女學校に通はしてあるがそれを見ても分る話で今日の若い女には活字の外は何も讀めない。草書も變體假名も讀めない。新聞の小説はよめるが假名の草双紙は讀めない。</p>
</blockquote>
<p>「ヨウさん」が「私」に愚癡る場面だが、昔も今も殆ど變はらぬのはやはり道理か。わたくしは一應、變體假名の讀み書きは出來る。なぜなら、大学一年生で眞面目にかよつてゐたころに習つたからだ。さうでなくば、一生讀めなかつたらうし、讀むこともなかつただらう。今時古典を讀む者は少いし、讀んだとて岩波の『日本古典文學體系』などで濟すであらうことはわたくしが體驗してゐる。これを改めるには小學の國語の時間で基礎的な讀み方をｱへ、書道の時間に實際書かせることが良いだらう。英語なんかを小學からｱへるのは狂氣の沙汰としか言ひ樣がない。それならば變體假名を古典と一緒に學ばせた方が良い。とは言ふものの、荷風の時代からこれまでなんら變はりのないばかりか良からぬ「改革」を續けてゐるのを見れば、大きな溜息とともに小さくない憤りを覺える。</p>


<h3>2004/02/02(Mon)</h3>
<h4>更新</h4>
<p><a href="http://www.poesia.jp/links/index.html">Links</a>に大量にリンクを追加。</p>


<h3>2004/02/02(Mon)</h3>
<h4>夢とか</h4>
<p>女の子にお金をばら撒いてゐる夢を見た。何をやつてゐるの、俺。</p>


<h3>2004/02/02(Mon)</h3>
<h4>占ひ</h4>
<p><a href="http://www5d.biglobe.ne.jp/~quia/report/2004/2004_02_a.html#date01-1">Wind Report - 2004年2月上旬 [QUIA]</a>經由で<a href="http://www.kogarashi.jp/ForbiddenPalace/jobchk00.html">適職診断</a>をば。</p>
<blockquote cite="http://www.kogarashi.jp/ForbiddenPalace/JobCheck/job21.html" title="FORBIDDEN PALACE　適職診断結果">
<dl>
<dt>死霊使い NECROMANCER</dt>
<dd>黄泉の国より虚ろなる魂を召喚しこの世に具現させ、人々を恐怖に陥れる･･････。それが「召喚術師」。これからも精進して、より多くの人々を混乱に陥れてください。</dd>
</dl>
</blockquote>
<p>キター!一番わたくしに相應しい職業が。いや、ネタでやつたのではないのですが……。</p>


<h3>2004/02/02(Mon)</h3>
<h4>わけが分からない</h4>
<p><q cite="http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/omake/diary.html">批判にしても、日本人のそれは、時代によつて依據するイデオロギーが、尊王攘夷になつたり、マルクス主義になつたり、「ゴーマニズム」になつたりするだけ</q>つてなんですか。「ゴーマニズム」とは<q>時代によつて依據するイデオロギー</q>なんですか。そんなに大したものなんですか。旧ゴーマニズム宣言やその他の對談本から考へれば、「ゴーマニズム」とは「主張を行ふからには傲慢に構へてみせなければならぬ」といふことであり、それを意識した刹那からその人は傲慢ではなくなるといふ二重寫しの精神を表明してみせたといふだけである。それを<q>時代によつて依據するイデオロギー</q>とやらで解釋してみせるのは、單に間違ひであるだけでなく、批判する對象を<q>色眼鏡</q>で見てゐる證左でもありはしまいか。正確な批評さへできてゐれば良く、批判される方の書物は読まなくても良いと力説してやまぬ野嵜氏は、かういふ間違ひを多々犯してゐる。わたくしは、それでは駄目だと前から言つてゐる。</p>


<h3>2004/02/01(Sun)</h3>
<h4>浅田彰氏について</h4>
<p>どこかで讀んで出典を失念してゐるのだけれども、浅田彰氏が入学式の時京大の校門前で本や音樂、映畫のリストを配り大學生ともあればこれくらゐは讀んでおかねばならぬと言つてゐたといふ話を覺えてゐる。實のところ、このやうなポスト構造主義的教養なんか糞食らへと思つてゐた。チャート式勉強法などはその最たる例である。しかし今考へてみると、浅田氏も結構泥臭いことをしてゐたのだなと思ひ、関心してゐる。といふのも、わざわざ校門まで出て生徒にリストを配る浅田氏と、昭和天皇がご病気になられた際皇居に押し寄せた群衆を「土人」と呼んで輕蔑してみせた浅田氏とを一緒に考へることなぞできないからである。昔の浅田氏ならば、皇居前で天皇の戦争責任を箇條書きにして配つてゐたかもしれぬ。</p>
<p>浅田氏がやつてゐたことは、實のところ「逃走」ではなく「鬪爭」であつた。無知蒙昧なる大衆を啓蒙せんがために鬪爭してゐたのである。現在浅田氏が逃走して見せてゐるのは、單に「大人」の「スレ」によつてでしかあるまい。いつまでも八十年代的キッチュ・ボーイではいられぬといふことくらゐ、頭の良い浅田氏は察してゐる。さう考へれば、小林よしのり氏が浅田氏らを共産主義に十把一絡げに纏めるのもむべなるかなといふことになる。もちろん、わたくしはその分類に反對だが。</p>


<h3>2004/02/01(Sun)</h3>
<h4>文章談義</h4>
<blockquote cite="http://antipop.zapto.org/id_1041.php#articles" title="文章の書き方について――antipop">
<p>もう少し話を広げると、読書体験が文章に幾ばくかの影響を及ぼしているようにも思えます。固有名詞を挙げるのは馬鹿に見えはしないかとためらわれるのですが、例えば石川淳、蓮實重彦、金井美恵子といった書き手の文章のスタイルを僕は偏愛しています。当然、彼 / 彼女等は単にだらだらと長い文章を書いているだけではないのですが、いまいわんとしているのはそういうことではなくて、個人的な嗜好としてだらだら文章に対してあんまり抵抗がない、というよりもむしろ好きなのであるということです（高橋源一郎は、太宰治の『斜陽』における文末の多様さを例に作家の「耳の良さ」を論じましたが、上に挙げた書き手のくぃくぃっとひねりをきかす文中のつなぎにも「耳の良さ」を感じます）。</p>
</blockquote>
<p>實際、一文が長い文章を書く事はかなり容易である。わたくしも實驗的に何度かやつてゐます(<cite>2003/06/09(Mon)「テスト」</cite>等)が、やはり失敗であつたと思ひます。例へば、谷崎潤一郎の文章は、流麗な調子の文章をもつて、センテンスの長い作家に分類されてゐるけれども、谷崎本人は『文章讀本』において、</p>
<blockquote title="『文章讀本』（中公文庫）">
<p>しかし、つなぎ目の分からないセンテンスを幾つもつなげて行くことは、結局非常に長いセンテンスを書くことになりますから、なかなか技巧を要するのであります。それと云ふのが、日本語には二つのセンテンスをつなぎ合せる關係代名詞と云ふものがない。従つて、どうしてもセンテンスが短かくなりがちでありますが、それを強いて&#32363;ごうとすれば「て」だの「が」だの頻出して耳障りになりますので、昔から、「て」の字の多い文章は惡文だと云はれてをりますのは、まことにその通りであります。</p>
</blockquote>
<p>とセンテンスの長い文章は<q>なかなか技巧を要する</q>と述べてゐる。だから、名文である「センテンスの長い文章」を書くのは相當難かしいと言へよう。三島由紀夫も述べてゐるやうに、<q title="三島由紀夫著『文章讀本』">現實の想像やら、心理やら、作者の勝手な解釋やら、讀者への阿りやら、性的なくすぐりやら、いろいろなものでごちやごちやに塗りたく</q>るやうな代物では駄目なのである。つまり、流麗な文章が目指すのは多くの事物の描寫ではなく、一つの視點からの描寫をいかに己れの言葉によつて表現しきるか、といふことなのであつて、決して物量的に描寫が多いといふことではないのである。その意味において、わたくしは金井美恵子氏の文章を認めない。彼女の文章は先に引用した三島の言葉によつて否定されるだけでなく、流麗な文章ですらない。おそらく新感覚派の長文系なのだらうが、さうなると<q>耳の良さ</q>は殆ど感ぜられないのは道理である。</p>


<h3>2004/02/01(Sun)</h3>
<h4>遠き声</h4>
<p>自己愛撫の爲に己れを「遠い部屋」にゐるやうに思ひ込むのは愚かだが、己れの声は決して届かぬものだと感ずるのは虚無だけが爲でなく、寸分の耻らひと傲慢とのアンビバレンスが爲でもある。羞恥心が強すぎれば臆病者に、傲慢であり過ぎれば夜郎自大の輩に。己れの發言に偏りを認めぬとせば、その中庸を求むるはごく自然の成り行きであると言へる。</p>


<h3>2004/02/01(Sun)</h3>
<h4>假面</h4>
<p>假面は素顏を隱すもののみにあらず。素顏は假面を隱すものである。</p>


<h3>2004/02/01(Sun)</h3>
<h4>部屋探しで思ふ</h4>
<p>新居探しに沒頭してをります。できれば6疊以上のリビングが欲しい。そして、フローリングでなければ嫌だ。疊とかだと何かこぼした時に困るんですよね。そして驛に近いこと、調布周邊、家賃六萬圓以下等等が條件。出來れば敷金禮金も払はずによいやうなところが良い。</p>
<p>無理ですか。</p>

<h2>この文書について</h2>
<dl>
	<dt>初版</dt>
	<dd>2004-02-01</dd>
	<dt>最終更新</dt>
	<dd>2004-02-28</dd>
	<dt>著者</dt>
	<dd><a href="mailto:%77%65%62%6D%61%73%74%65%72%40%70%6F%65%73%69%61%2E%6A%70">加納　景</a></dd>
</dl>
</body>

</html>
