<!DOCTYPE HTML PUBLIC "ISO/IEC 15445:2000//DTD HyperText Markup Language//EN">

<html lang="ja" dir="ltr">

<head>
<meta http-equiv="content-type" content="text/html;charset=shift_jis">
<meta name="author" content="加納 景">
<meta name="robots" content="INDEX,FOLLOW">
<link rev="made" href="mailto:%77%65%62%6D%61%73%74%65%72%40%70%6F%65%73%69%61%2E%6A%70">
<link rel="start" href="../index.html">
<link rel="index" href="./index.html">
<link rel="prev" href="./200404.html">
<link rel="next" href="./200406.html">
<link rel="help" href="../about/index.html">
<link rel="stylesheet" type="text/css" href="../css/main.css" media="screen,tv" title="elegant">
<title>Other Voices(2004-05) -Poesia</title>
</head>

<body>
<ol id="NAVI">
<li><a href="../index.html">Home</a></li>
<li><a href="./index.html">バックナンバー</a></li>
<li><a href="./200404.html">前月</a></li>
<li id="POINT">今月</li>
<li><a href="./200406.html">次月</a></li>
</ol>

<h1 lang="en">Other Voices(2004-05)</h1>

<h2>idea</h2>

<h3>2004/05/26(Wed)</h3>
<h4>表現と云ふ犠牲</h4>
<p>表現はあらゆる可能性を孕んでゐる。といふことは、みんな解つたやうな顔をしてゐるが、まつたく解つてゐないのである。なぜなら、彼らはその可能性の一つを、殆ど意識することなく取捨選択し、何食はぬ顔で使つてゐるからだ。ひとつの言葉や映像、音は、人によつて表されたその瞬間に、もはや自分で勝手に歩き出す。これをデリダが間テクスト性と言つたことは周知だが、一人歩きした意味をいかに捉へなほすのかといふ、我われの実生活上の大問題は、ただ取り残されるばかりである。</p>
<p>ぼくがそれに気づき、興奮し、絶望したのは、高校生のころだつた。表現はあらゆることを可能にしたし、ぼくはそのことを大いに驚いた。ぼくが書いた文章の、それもほんの数行で、人物が創られる。世界が創られる。行動が生まれ、言葉が生まれる。もう一行書けば、もう一人増え、また同じく様々な表現が、表現のうちに誕生するのだ。それは神のやうな鮮かさだつた。しかし同時に、自分の思ふやうに世界が創られる悦びは、恐れを生む。恐れは疑ひやうなく、生きた人間――それは表現された人間も――への恐れであり、その表現者たる己への恐れであつた。さうなると、一行も書けなくなる。本当にあるべき表現を索めることになる。なぜなら、嘘の表現は彼を人間たらしめず、表現された文字はただ物質的な記号の羅列にすぎなくなるからだ。</p>
<p>さて、では、「本当にあるべき表現」とは何か。「物質的な記号の羅列」にならないやうな表現とは何か。</p>
<p>意味は「一人歩き」すると書いた。たしかに、そのとほりである。だが、死んだ言葉は歩くことすらしないのである。つまり、ぼくはまづ、言葉に命を入れなければならなかつたのだ。命があつて、初めて表現は成り立つ。しかし同時にそれは表現の死でもある。或は、およそ表現とは生を受けたその刹那から、千鳥足の気狂ひの様を見せ付ける狂気のことに他ならない。ぼくたちが表現したものは狂気であるが、その狂気を毒をふくむやうに受け入れなくてはならぬ。そこで一体、どうしてすました顔でゐることが出来るだらうか。意識しない、できない人は、幸福かもしれない。だが、それは死んだ言葉を延々と垂れ流す醜悪を意識できない不幸でもあるはずだ。ぼくは、甘い蜜を吸つて呆ける顔をするよりも、毒を飲んで死ぬはうを選ぶ。醜さは尊ぶべき価値ではないと思ふ。</p>


<h3>2004/05/24(Mon)</h3>
<h4>文章と文書の違ひ</h4>
<p>前にHTML文章と散々書きまくつて恥を晒した私ですが、さつきふと、文章と文書の違ひは何なのか気になりまして、goo辞書を引いたのですが、検索結果は各自お願いするとして（手抜き）日本語においてはほとんどニュアンスの違ひしかなささうに思へます。英語では文章は<span lang="en">Writing</span>&#44;文書は<span lang="en">Document</span>ですが、これも調べましたところ、なにやら前者はエクリチュール的な意味合ひを持つてゐるのに対し、後者はパブリックな意味合ひを持ち合はせてゐるやうに思へます。なるほど、ならばHTML文書といふのは正しいですね。</p>
<p>今手持ちに辞書がないのがどんなに辛いかと云ふことを示したかつたのですが。広辞苑すらないし。</p>


<h3>2004/05/18(Tue)</h3>
<h4>表現学会</h4>
<p><a href="http://wwwsoc.nii.ac.jp/sefs/">表現学会公式ページ</a>はHTML3.2で記述されてゐるが、<q cite="http://openlab.ring.gr.jp/k16/htmllint/htmllint.html" title="Another HTML-lint gateway">34個のエラーがありました。このHTMLは -127点です。タグが 21種類 55組使われています。</q>とのこと。何らかの意圖に因つてこのやうなHTMLを記述する必然性があるならまだしも、「表現」や「言語」に關はる専門的、学術的なサイトが、何の考察もなしにオーサリングツールか何かで作られては困る。</p>
<p>ちなみに<a href="http://wwwsoc.nii.ac.jp/lsj2/index.html">日本言語学会ホームページ</a>はHTML 4.01 Transitionalだが<q>262個のエラーがありました。このHTMLは 5点です。タグが 21種類 181組使われています。</q></p>


<h3>2004/05/17(Mon)</h3>
<h4>はてな再開</h4>
<p><a href="http://d.hatena.ne.jp/kanou/">Individual Production</a>を再開。しかし。<a href="http://d.hatena.ne.jp/kanou/20040517#1084780285">http://d.hatena.ne.jp/kanou/20040517#1084780285</a>の疑問が解決できず。なんか変なことしてゐるのかな？このスタイルはローカルに試しに作つたやつで、そのときは問題はなかつたのだが。</p>


<h3>2004/05/17(Mon)</h3>
<h4>シンプルな体系</h4>
<p>私だつてXHTMLによる文書でサイトを作成したことがないわけでもないし、実際某所で言及したりなんだりしてゐるのだけれども、私が綴る文書が、どうしてもXHTMLでなければならぬ理由は感ぜられない。私はWWWにリソースをのせるために渋々HTML化してゐるのであつて、進んで機械に処理されるためにではない。文書を読み、理解するのは人間で、人間が最も理解し易いのはシンプルで合理的なものである。そのための最低限の手段として、ISO-HTMLは最適だと考へる。</p>


<h3>2004/05/16(Sun)</h3>
<h4>私のブラウザ選び</h4>
<ul>
	<li>MDI。</li>
	<li>マウス・ジェスチャー機能。</li>
	<li>正確なレンダリング。</li>
	<li>タブの機能性。</li>
	<li>起動の速さ・レンダリングの速さ。</li>
	<li>ブックマーク管理の柔軟性。</li>
	<li>できればスキンを代へられる。</li>
</ul>
<p>といふわけで、今はOperaに。でも遅い。</p>


<h3>2004/05/16(Sun)</h3>
<h4>BT界隈（謎）と書く御決まり</h4>
<p><a href="http://sins.me.uk/index.php?20040516#date20040516_03">SINS-ver.IU「BT界隈徘徊」</a>。ぼくに弟子なんてゐるんですか。HTML<em>文章</em>とかUAのデフォルト<em>CSS</em>とか言ふぼくに。</p>


<h3>2004/05/16(Sun)</h3>
<h4>何が悪いのか</h4>
<p>つまり、HTML 4.01の仕様を述べてゐるはずのVel氏の文書にISO-HTMLの原理原則で解釈した私が悪いのではないか、とか。といふか、無茶を承知で暴論を吐きますが、マーク付けしなくては構造が不明瞭になつて仕方がないやうな文章なんて書くな、とか。そもそもテキストリソースだらう、とか。</p>
<p>更に言へば。HTMLの原則を解つてゐる人ならば、無茶なhrの使いひ方なんてしないだらうから、それほど問題にはならないだらう、と思ふ。</p>


<h3>2004/05/15(Sat)</h3>
<h4>誕生日</h4>
<p>で、折しも今日は<a href="http://www.cs.tcd.ie/15445/15445.html">ISO/IEC 15445:2000(E) ISO-HTML</a>の誕生日。おめでたう（謎</p>


<h3>2004/05/15(Sat)</h3>
<h4>区切り</h4>
<p>なんといふか、ぼくはまきさんよりもhr否定派といふアレなことに。pだつて段落といふ区切りですし。ただ区切りの意味があまりに冗長になるので、「見出し」が出現すると考へます。ぢやあhrはやつぱりだめなのかと言へばさうではなく、文中に出現する必然性がある場合に記述されることもあるだらう。それはありうる。だが、頻度は低い。区切りだからといつて矢鱈とつけるやうなものではない。</p>


<h3>2004/05/15(Sat)</h3>
<h4>間違ひと勘違ひと意見</h4>
<p><a href="http://kazmacky.cool.ne.jp/kinkyo/2004c.html#DATE0515_01">釣瓶雜記（2004年5月）「hr要素について」</a>でまきさんに指摘を頂くまで、あの間違ひには気づいてゐなかつた。いつもすみません。そしてありがたうございます。（でも2004/05/14の膨大な数の修正は全部消去されてゐるやうな気がする。単にアップし忘れたのかも。ぶつぶつ。）閑話休題。</p>
<p>私の文書はあまりに舌足らずで不正確なものだつたので、お二方のやうに読まれるのはごく当たり前で、正当なものであるといふのをまづ前提に置きまして、私が言ひたかつたことをご説明いたします。まあ、ほとんど結論がでてゐるやうなものなので、読み飛ばしは可です。</p>
<p>私が特筆して主張したのは、Velさんの主張の以下の点に疑問を持つたからです。</p>
<ul>
	<li><q cite="http://www.code-404.net/archives/2004/04/18_32.shtml"> CSS を適用させずに観覧した場合に酷く見難くないですか？</q></li>
	<li><q cite="http://www.code-404.net/archives/2004/04/18_32.shtml">hr 要素が無い場合は(一般的に)見出し要素( hn 要素)での文字の大きさで区切りを判断していくとか、文の流れから判断するしかない</q></li>
</ul>
<p>これらから類推するに、デフォルトスタイルにおいての<q>見難</q>さ及び<q>文字の大きさ</q>等によつてhr要素を使ふ論拠としてゐると読解し、さういふ見栄えを前提にHTMLを記述すべきでないことはVelさんもご承知のはずですし、さうであるならば、hrを使ふ根拠足り得ないと。では一体なにがベストの方法なのかと言へば、なんの区切りなのか明確ではないhrよりも、hnのやうな、文書の見出しを表す要素の方が適当ではないか、といふことです。</p>
<p>とまあこれが私の主張の大筋なわけですが、でもどうでせう。hrが出現するのは、brの次くらゐ珍しいはずですが。といふのは、このやうに考へればhrの使ふ余地は見出しにかからない文字列を対象とした場合で、それは野嵜氏の闇黒日記のやうな、dl-dt-dd型マークアップゆゑに日附の区別をつけなければならないやうな場合と、h1要素が出現する前にある文字列に区別をつける（例へばパン屑リストとサイトコンテンツを区別するやうな）場合くらゐしか私は思ひつきません。よつて、入門者用に解説しないのは問題がないばかりか、brとほぼ同等の扱ひの紹介といふ程度で良いと思ひます。</p>


<h3>2004/05/15(Sat)</h3>
<h4>あれ</h4>
<p>delとinsで修正したはずのいくつかの文章が元通りになつてゐる？たくさん修正してゐるからよく分からないけれど。いや、その前に推敲しろよ、自分。</p>


<h3>2004/05/15(Sat)</h3>
<h4>といふわけで。</h4>
<p>けふはこれから用事があるので更新は夜中くらゐに。</p>


<h3>2004/05/15(Sat)</h3>
<h4>フォント</h4>
<p><a href="http://pc5.2ch.net/test/read.cgi/hp/1078361001/659-662">カスイケスレ659-662</a>でフォント関連の話題が。といふか、アルファベットのフォントはアンチエイリアスがきちんとかかつてくれて、bold指定しても読みづらくならないなど、やはり西欧で生まれた媒体の強みを実感するもので。そもそもWindowsのフォントがMacのそれに程遠いなど、かなり不満があるのだが、いづれにしろそんなことをイケてない言い訳にはしたくないなあ。</p>
<p>といふか、西欧のウェブデザインが素晴らしいといふのは、嘘なんぢやないか、と思ふ。どいつもこいつも豆字野郎、div厨ばつかりぢやないですか、とか偏見を言つてみる。</p>


<h3>2004/05/15(Sat)</h3>
<h4>鯖落ち</h4>
<p>XREAが鯖落ち中。サイト閲覧が不可になつたのではてなのはうを避難所にしようかとしたら、はてなも落ちてゐやがつた。orz</p>


<h3>2004/05/14(Fri)</h3>
<h4>三島由紀夫とhyde</h4>
<p>この二人は似てゐる説。顏ぢやなくて紋切り型の美と退廢をうたつてゐるといふ點で。でも、hydeの方は聞いてゐてもまだ大丈夫。なぜだらう。</p>


<h3>2004/05/14(Fri)</h3>
<h4>娼婦風パスタはいかにして作られたか</h4>
<p><a href="http://feel.cheap.jp/archives/20040509/cooking.php">.slow: 娼婦風スパゲッティ</a>を読んで、「あ、懐かしいな」と思った。というのは、このスパゲティをぼくの母がよく作ってくれたからだ。そして食べ終わったあとに、母は毎回この話をぼくにしてくれた。それはこんな話しである。</p>
<p>これは昔のイタリアにあるとある田舎町のお話。当時は戦乱の世で、多くの人が死んだが、この街はまだ比較的安全だった。ある日、その街の中心にある教会が、日曜でもないのにミサをやるというので、人々は大きな関心を抱いた。そこの神父さんは、独特な語り口で、街のみんなに好かれていたから、いったいどんな説教をするのか興味津々だった。けれども、その神父さんはこう言った。「いいですか、明日のミサは、皆さんは絶対に来てはいけません。教会の中を覗いてもいけません。いいですか、<em>これは必ず守ってください</em>」</p>
<p>普段温厚で名の通っている神父さんが、非常に険しい表情で言うので、街のみんなはびっくりしたし、なによりなぜミサに参加してはいけないのかという疑問と関心で、一日中話題はそれで持ちきりになった。そんな中、何も知らない一人の娼婦が、街の市場に行くと、やはりその話で盛り上がっていた。彼女はアレッサンドラという名前だった。彼女は娼婦でも明るく健康的な性格で、街の人々も彼女にはなにかとよくしていた。たとえば、「おおアレッサンドラ元気かい？今日はオリーブを少しサービスしてあげるよ」なんてね。でも、今日はみんな議論に熱中していた。もちろんアレッサンドラもその中に加わった。野菜売りのジュゼッペは悪魔崇拝の可能性を指摘したり（これにはみんな猛反発した）魚屋のフランチェスコは興味を引かせて、教会に入った者だけで秘密のミサをするのではないかと言ったりした。また花屋のアンナは、このたびの戦争の説教ではないか、それも、反戦的、反キリスト的なものではないかと言った。どれもこれも想像の域を出ないもので、きりがなかったが、アレッサンドラはたいそう興味をもち、帰って仲間のみんなに知らせた。</p>
<p>さて翌日の早朝、街は大騒動になった。それは軍隊がきたからだ。彼らはしばらくここに寄宿させてくれと言った。街のみんなは猛烈に反対したが、それは彼らの武器と腕力によって簡単にねじ伏せられてしまった。しかし、アレッサンドラたち娼婦にとっては、これは願ってもいないチャンスだった。彼らこそ彼女らを必要としている人間はいないからだ。ところが、彼女たちの中で一番姉御肌のシルビアが、お偉いさんに掛け合いにいったところ、にべもなく断られた。シルビアが何度理由を聞いても答えてはくれなかった。それを聞いて不審に思ったアレッサンドラは、一人の若い青年に近づき、その理由を聞いた。すると、なんと、今日のミサを受けに彼らはこの街に来たというのだ。彼いわく、「今日のミサに行くまで、飲まず食わずで、しかも禁欲しなくてはいけないんだ。大佐が根っからの信者で、みんな困ってるんだよ。やれやれ。ところで、この話しは内緒だぜ？なぜかおたくらの神父さんが、街のみんなに内緒にしているようだからね」</p>
<p>その日の市場は不思議な雰囲気だった。なにせ、どこからともなく軍隊がやってきて、そして教会のミサに参加しているのだ。気になってしようがない。普段活気で溢れている市場では考えられないことだ。ところが、その沈黙も一発の銃声がうちけした。はじめ一発だったのが、次には連続して発射する音に変わった。音は、教会の方から聞こえた。市場のみんなは一目散に教会に走っていったが、いざ教会の前に来ると、だれも扉を開けようとしない。また不思議な沈黙。アレッサンドラたちが騒ぎを聞きつけて到着したころも、事態は変わっていなかった。そこで彼女たちは、勇気をもって扉をそっと開けた。</p>
<p>中は狂っていた。なにもかも狂っていた。誰も正気ではなかった。キリストの像には血が吹きかかっているし、地面には数人の人が倒れていた。焦って打ちまくったようで、壁には無数の弾痕が残っていた。大佐と思われる人はつとめて正気でいようとしていたが、自分の部隊に何一つ命令をかけることができなかった。一人の隊員は銃を持ったまま呆然と立ち尽くしている。また違う隊員は、大声でなにかを叫んでいる。床に血まみれに倒れている（おそらくは死んでいる）のは、神父と、軍の人間ではない十一人の見知らぬ人たちだった。</p>
<p>彼女たちが扉を開けて、ようやく入ってきた街の人々も、この絵を理解することはできなかった。あまりに残酷な絵だったのだ。その状況で唯一まともに判断できたのは彼女たち娼婦だけだった。彼女たちはまず、街の人々を教会から追い出し、奥からシーツを持ってきて死体にかけ、狂乱の中軍隊の一人一人を外にだした。街の人々が恐ろしげな表情で通り行くのを見る中、彼女たちは自分の住まいに彼らを運んだ。シルビアに向かって、彼らをどうするつもりなのかと聞く者もいたが、彼女はとりあえず今は任してくれと言った。</p>
<p>夜になり、だいぶ彼らは落ち着いてきた。温かいスープと毛布は、みすぼらしい彼女たちの家でも彼らを体の芯まであたためた。アレッサンドラは朝に会ったあの青年を見つけ出した。彼もだいぶ落ち着いていた。</p>
<p>「いったい、あそこで何があったのさ」とアレッサンドラは聞いた。青年はしばらく考えた後、<br>「俺にもちょっとわからない。ただ、あの神父が十一人の聖職者を、この日のために呼んでいると俺たちに紹介した後、あいつらが突然こう叫びだしたんだ。『禍なるかな、血ぬられたる者どもよ！』それを十一人全員が叫びだしたんだ。驚いた大佐が神父に聞くと、神父はこう答えた。『お前たちが殺した人々の名を、覚えているか。神は記憶しているぞ。神の御言葉授かりし我々が、神の代理として怒りの……』そこからはもう何を言っているのか聞き取れなかったけれど、大佐は驚いただろうね。なにせあの神父とは長年の付き合いだって言うんだから。大佐が動揺している間、十一人の聖職者の一人が、俺たちの部隊の一人に詰め寄ったんだ。『お前の銃は何人殺した？』って。そして、その銃を掴んできた。俺たちは軍隊だからね。銃を握られて黙っていることなんてしやしない。あいつも反射的に発砲したんだ。すると、やつらは猛然とわけのわからない言葉を言って、俺たちに襲い掛かった。だから……」アレッサンドラは、わかったと言って、それ以上聞かなかった。そして、シルビアに事情を話し、これからどうするのか尋ねた。彼女は言った。「こいつらを放っておくのも気が引けるしねえ。仕様がない。あと何日かはうちで引き取ろう」そして、「おい、あんたたち、腹なんて減ってないと思うけど、なんか食べないとだめだよ。わたしたちがつくってやるから残さずお食べ」そして材料の少ないなか出来たのが「娼婦風パスタ」であったのだ。</p>
<p>彼らはシルビアの気迫に押されて食べたが、後に故郷に戻ってこの話をしたところ、食材が揃っていたので作ってみると実に美味く、それが評判となって世に広まっていったのだ。犠牲と慈悲の中で生まれたこのパスタに<span lang="it">puttanesca</span>、つまり娼婦の名が冠せられたのは、こういう経緯であった。</p>
<p>という嘘を、yuさんの文書を読んで考えていた。すみません。全部嘘です。</p>


<h3>2004/05/13(Thu)</h3>
<h4>blogツールのコメント欄</h4>
<p>ぼくはあまりに旧式な人間で、blogのコメント欄がどうしてもなじめない。たとえば今までなら、掲示板というコメントを専門としたものをおくことで、話題をそれほど限定せずに、縦横無尽にさまざまなことに言及したり馴れ合ったりしていたものだが、blogツールの普及により、そういう過度な接触ができなくなったと思うのだ。言及されたものへの言及という、よく言えば秩序だった、悪く言えばとてもつまらないものになったと思う。ぼくは、片方では馬鹿をやりながら、もう片方ではまじめに議論したりしているような掲示板が好きだ。</p>


<h3>2004/05/13(Thu)</h3>
<h4>飄々とした突っ込み</h4>
<p><a href="http://404.junkwork.net/archives/000373.html">404 : もじら組の人と問題発言とか</a>参照。そもそもなんとか同盟とかなんとか協会とかなんとか組とかなんとかコミュニティーとかをネタではなく本気でやっている人をぼくは信用しないので。というか、コメント欄のiwaim氏の発言がツボ。<q>あと、バカの壁を読んでもこの件とはそれほど関係ない気はします。</q>たまにわけの分からないところで笑ってしまうのだけれどなぜだろう。</p>


<h3>2004/05/13(Thu)</h3>
<h4 id="DOC040513_01">善人・悪人/自意識</h4>
<p>世の中には、自分が純粋で素朴で善人だと思いたい人、というのがいる。また、自分は厄介者で一筋縄ではいかない腹黒い悪人だと思いたい人もいる。ぼくはどちらかというと後者のほうが好きだが、いずれにしても、自意識の徹底していない様にうんざりする。</p>
<p>たとえば、「ぼくは悪人である」と言うけれど、その「悪」がいかなるものであるのか、どうして「悪」でなければならなかったのか、その「悪」によっていかなる事態が生じているのか、ということを深く自問自答し、分析し、批判すること、それをぼくは自意識と言っているのだが、この自意識を中途半端なまま放置している人が多い。「あいつは自意識過剰だ」なんて蔑む人がたまにいるけれど、なんのことはない、自分の半端に高めた自意識と同程度、あるいは少し上くらいと思う近親憎悪というだけなのだ。</p>
<p>今の人たち――といってもぼくもそれに分類されるのだけれども――観察していて感ずるのは、人にどのように見られているのかというほうの自意識のみ異常に発達していて、自分がいかなる存在なのかという本来あるべき自意識があまりに欠けている。だからこそ、彼ないし彼女は、周りの人間に同調することを「普通」のことだと思い込み、「普通」でないことを「異端」とし、「異端」を排除することによって自分たちの安楽を得ようとして、結果、弛緩しきった無様な有様となる。ぼくはそういうのがたまらなく鼻持ちならないので、そのような人々と同じような顔をして潜り込み、思わぬところで毒を盛ってはっとさせるのが好き(*)なのだが、そういう意地悪は求めないにしても、対人関係にすこしでもスリリングな部分がないのは、ただつまらないだけなく、エネルギーの無駄に最近思えてきた。大体において、することがある時よりも、何もすることがない時のほうが、エネルギーの消費は激しいのだ。</p>
<p class="note">(* たまに毒を盛られたことにも気づかない鈍感な人もいる)</p>


<h3>2004/05/12(Wed)</h3>
<h4>かなづかひ</h4>
<p>ノートのほうにしてから「正かなづかひ」は脳内マシーンによる手動変換にしていたのだけれど、IMEの誤変換が激しくなってきたので一時中断。</p>


<h3>2004/05/12(Wed)</h3>
<h4>Horizontal Ruleは必要か</h4>
<p>いまさらの反応で申し訳ないのだけれど。<a href="http://www.code-404.net/archives/2004/04/18_32.shtml">hr 要素 : Code-404</a>に意見。</p>
<blockquote cite="http://www.code-404.net/archives/2004/04/18_32.shtml" title="hr 要素 : Code-404">
<p>私は <abbr title="HyperText Markup Language">HTML</abbr> を記述する場合、まず CSS を適用させてない状態での見易さを重視します。ここで hr 要素があると無いとでは全然違うと思うのです。区切りをあらわしてるのですから。例えば、 hr 要素が無い場合は(一般的に)見出し要素( hn 要素)での文字の大きさで区切りを判断していくとか、文の流れから判断するしかないわけで。そのページに表示される文が長ければ長いほど判断しにくくなります。さらに、後者の場合だと全文読んで読みたい記事を探すなんてバカらしいじゃないですか。</p>
</blockquote>
<p>UAのデフォルトの表示だって<del>CSS</del><ins>スタイルシート</ins>なんだし、<del>CSS</del><ins>スタイルシート</ins>であるからにはhn要素の文字サイズがどんなものであっても文句は言えないわけで。問題は如何なる見栄えかではなく、如何なる論理構造か、なのではないのですか。論理構造はhr要素なしに明示できるし、むしろそちらのほうが好ましいのではないかと思う。hr要素だけでは、区切りの意図や趣旨が不明瞭なので、title属性を使ったほうがいいと思うけれど、そこまでするならば、見出しで対処できるはずだ(*)。</p>
<p class="note">(* 参考に。<a href="http://kazmacky.cool.ne.jp/www/isohtml/QA.html">Q&A < 良質なテキストサイトの爲のISO-HTML入門</a>「hr要素（水平線）つて便利ですよね。」)</p>


<h3>2004/05/12(Wed)</h3>
<h4>タブブラウザ</h4>
<p><a href="http://www6.ocn.ne.jp/~katoyuu/">カトゆー家断絶</a>経由で<a href="http://internet.watch.impress.co.jp/cda/event/2004/05/11/3060.html">タブブラウザ「Lunascape 2.0」やWebサイト制作ツール「NOTA」のデモ</a>。</p>
<blockquote cite="http://internet.watch.impress.co.jp/cda/event/2004/05/11/3060.html" title="タブブラウザ「Lunascape 2.0」やWebサイト制作ツール「NOTA」のデモ"><p>Lunascape 2.0は、Internet Explorer（IE）やMozillaのエンジンに対応し、閲覧中に任意のエンジンに切り換えることができる。また、IE用のツールバーが利用可能で、例えばGoogleツールバーを、Mozillaのエンジンで使用することもできる。なお、Lunascape 2.0では、オープンソースのエンジンであれば対応できるとし、「Mac向けWebブラウザ『Safari』に対応することも可能だ」（近藤氏）という。</p>
</blockquote>
<p>Firefoxの前はLunascapeを使つてゐて、すばらしいソフトだと思つてゐたが、遂にここまできましたか。これがでたら早速またLunascapeに戻らうと思ふ。そして、小額ではあるが、<a href="http://www.lunascape.jp/kanpa.htm">カンパ</a>もしたい。</p>


<h3>2004/05/12(Wed)</h3>
<h4>ナビゲーション</h4>
<p>このたび、このスタイルになつてから二度目の、HTML自体を書き直す更新をしたのですが、常連さんは使ひづらくなつたと思ひます。それはナビゲーションがパン屑リストだけになつて、リソース間の移動に一々indexを経由しなくてはならなくなつたからです。しかし、全リソース共通であのナビゲーションをつけ、挙句にパン屑リストを併用すれば、はじめての閲覧者の方が迷ふのは必至ですし、そもそもナビゲーションといふ付属の機能は本来ブラウザ側がHTMLのlink要素からユーザーに提供すればよい話で、link要素があるのに一々指定するのはあまりに冗長であると思ひました。本来ならばパン屑リストも取つ払いたいくらゐなんですが。</p>


<h3>2004/05/12(Wed)</h3>
<h4>IE関連雑感</h4>
<p>といふわけで、さつさとFirefoxはアンインストールしました。今はSleipnirを。IEコンポーネントだから、レンダリングはIEとかはらないけれど、動作が軽快なため、非力なこのマシンでは最適といふ判断。</p>
<p><del title="しばらく見てゐなかつたら、議論が思はぬ方向に動いてゐたので、削除。">ところで、かういふ事情でIEを使用してゐて、サイトを閲覧してゐたら、いきなり「IEは窓から投げ捨てろ」とか表示されたら腹が立つだらうな。frameやJavaScriptで、<code>noframes</code>や<code>noscript</code>に「お使ひのブラウザでは表示できません」とか書く輩と、なんの変はりがあるのだらうか。</del></p>


<h3>2004/05/12(Wed)</h3>
<h4>蕭条</h4>
<p>デスクトップのはうはまだ修理できてゐないけれど、五六年前のノートを取り出して、PCカードを買つてきて、無理やりアップグレードし、Firefoxやら窓の手やらなにやらを導入したのはいいのだけれど、肝心のFirefoxがをかしい。拡張機能のインストールがうまく行かない。でも面倒だし、昨日まで風邪で寝込んでゐたし、今日は炎天下の中ゴミゴミした街を行つたり来たりして疲れ果ててゐるので、寝ます。帰りの夕日は奇麗だつたなあとか。蕭条とした気分で、おやすみ。</p>


<h3>2004/05/07(Fri)</h3>
<h4>うわわん</h4>
<p>アレの影響でPCが。閲覧は出来ても入力して出力することが出来ない。しばらく更新中止。ちなみにこれは携帯から。</p>


<h3>2004/05/07(Fri)</h3>
<h4>演説</h4>
<p>我々は我々の故郷を守るべくして生まれたる天照大神の神聖な子孫であり、邪教をもつて征服せんとす蛮族の如きを一掃せねばならぬ。神風は我らを守りたまうぞ。信じてゆけよ云々。テスト。テスト……</p>


<h3>2004/05/07(Fri)</h3>
<h4>やつちまつた</h4>
<p>キーボードにワインをこぼしてしまつた orz</p>


<h3>2004/05/07(Fri)</h3>
<h4>念力ヲチ</h4>
<p><a href="http://ex2.2ch.net/test/read.cgi/net/1083674162/l50">念力ブログをチャネラ達が見守るスレ</a>が立つてゐて、朝から大受けした。<q cite="http://d.hatena.ne.jp/tencho/20040506#1083771995">ヲチャーが念力を送って勝手に更新しようというスレ</q>ださうです。ヤバい。ツボ。</p>


<h3>2004/05/07(Fri)</h3>
<h4>耄碌</h4>
<p>体内時計が半日ずれてゐるので、けふは起きつづけるつもり。だから、朦朧とした意識の中で更新して大変なことを書くかもしれませんが、あまり気にしないでくださいまし。といふかこれはあれか。24時間更新を続け通すといふアレか。</p>


<h3>2004/05/07(Fri)</h3>
<h4>うちは、「ぽえしーあ」です！</h4>
<p><a href="http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-SantaClara/1308/">カスイケリンク集2</a>で、前のURIとタイトルが採用されたままだつたのですが、直してくださつたやうです。そろそろリダイレクトやめようかな。</p>


<h3>2004/05/07(Fri)</h3>
<h4>過激の御旗に意義申す</h4>
<p><a href="http://box.elsia.net/~blog/archive/2004/05/07/#id1083860096">blomemo 2004-05-07</a>経由で<a href="http://www.akatsukinishisu.net/wiki.cgi?IE%A4%CF%C1%EB%A4%AB%A4%E9%C5%EA%A4%B2%BC%CE%A4%C6%A4%E9%A4%EC%A4%EB%A4%D9%A4%AD%A4%AB">IEは窓から投げ捨てられるべきか - 徒委記</a>を発見したのだが、いささか騒ぎすぎといふか、過激な意見が出ればすぐに反応したり、或は負けじと過激になるのは程度の低いやり取りに見える。問題はいかに過激であるかではなく、いかに正しい事を言つてゐるかだ。奇を衒ひたいといふ気持ちは解らぬでもないが、そのさきに論理の検証やそれによつて得られる正当性のある意見がなければ、お話にならない。</p>


<h3>2004/05/07(Fri)</h3>
<h4>フィツジェラルド</h4>
<p>『グレート・ギャツビー』、『バビロン再訪』を再び読んだ。何回読んでもフィツジェラルドの作品は好きだ。春樹氏と同じくらゐ影響を受けた作家の一人なのだ。また、訳者の野崎孝氏の訳が巧いといふのもあるのだらう。いづれにしろ、あらゆる富みといふ富みを味はい尽くした人間を描いた作品であるにも関らず、凋落の絶望をかくも豪華に描くその才能は、賛嘆を通り越してただ呆然とするのみである。</p>


<h3>2004/05/06(Thu)</h3>
<h4>運動といふ愚昧なること</h4>
<p>巷で話題の<a href="http://www.homoon.jp/users/www/diary/2004/05a.shtml#d02b">IEを窓から云々</a>の件。正直どうでもいい。運動したい人はどうぞ勝手にしてもらつて構はないが、あらゆる「運動」がなりふり構はず醜悪なものになつたり、或は手段と目的を取り違へる人を多く生み出したことは念頭におくべきだ。そもそもIEだつてそんなに悪い代物ではない。最低限文書が読めればそれでよい。それ以上便利で正確なものを求める人は、自然と数々の優良なUAに出合ふことだらう。いくらIEが糞でも、故意に閲覧の支障を与へることは誰も出来ない。WWWは誰にでも閲覧可能であるはずだ。</p>
<p><ins datetime="2004-05-07T05:11:11+09:00">といふか、俺も同じ事を書いてゐるのな。<q cite="http://www.poesia.jp/about/self.html">NC4.ｘ系を窓から投げ捨てるのは当たり前。今度はIEを窓から（ry</q>ネタをネタと（以下略）</ins></p>


<h3>2004/05/06(Thu)</h3>
<h4>ISO</h4>
<p>バイトでISO14001の説明を受けてゐるときに、何気に「俺のサイトもISOだぜ」とか言つてみた。</p>
<ul>
	<li><code>&lt;!DOCTYPE HTML PUBLIC "<em>ISO</em>/IEC 15445:2000//DTD HTML//EN"&gt;</code></li>
</ul>
<p>認証の作業はないのだけれど、テキストリソースとしての正当性は機械で調べられる。</p>
<p>ところで、当の<a href="http://www.iso.org/iso/en/ISOOnline.openerpage">ISO - International Organization for Standardization</a>がTransitionalでレガシーマークアップなのは如何。</p>


<h3>2004/05/05(Wed)</h3>
<h4>RSS Reader Panel</h4>
<p>どうせあるんだらうなと思つてちよつと調べたらあつた。</p>
<ul>
	<li><a href="http://fls.moo.jp/moz/rssreader.html">Firebird Ext. - RSS Reader Panel</a>
		<ul>
			<li><a href="http://fls.moo.jp/fswiki/?p=RRP+%A5%D8%A5%EB%A5%D7">RRP ヘルプ - WIKI [WEB ARCHIVES]</a></li>
		</ul>
	</li>
</ul>
<p>サイトを閲覧するものは一つにまとめた方が便利だ。だから、誰か2ch用の拡張機能とか作つてくれないかな。無理か。</p>


<h3>2004/05/05(Wed)</h3>
<h4>WWW</h4>
<p>webサイトなんてのは、ただ表現をする場でしかない。だから、表現に合つた使ひ方をすれば良いのであつて、私の場合は文書の公開それだけだから、ISO-HTMLで充分だ。</p>
<p>難度の高いものとしてHTMLとかCSSを語るのは、もうやめよう。それらはどれも、手段や手法でしかない。問題は、いかなる内容を持てるかだ。その内容を表現する手段として、HTMLやCSSを使へば良い。手法を一義的存在に取り違へて罵倒を繰り出す輩がまだゐるなら、もうそろそろ目を覚ましてよいのではないかと言ひたい。</p>


<h3>2004/05/05(Wed)</h3>
<h4>伝言板</h4>
<p>駅の伝言板に、「僕の代はりに生きてくれる人を探してゐます」といふ文を発見……したらどう思ふだらうとか朦朧とした意識の中で考へてゐた。小説のネタになんかに使ふなよ&gt;&gt;俺</p>


<h3>2004/05/05(Wed)</h3>
<h4>デスクトップ</h4>
<p><a href="http://www.poesia.jp/images/desk01.png"><img src="http://www.poesia.jp/images/desk00.png" class="illust" alt="デスクトップ(90.94K Bytes)"></a></p>
<p>ほら、Windows使つてゐるのにも関らず、Macintoshのアイコンとか使つて叩かれてゐる人をよく見かけるよね。うん、それだけなんだけどさ。</p>
<p>といふか、見る人が見れば何の作業をしてゐるのか一目瞭然なので、リサイズ+減色しまくりで。</p>


<h3>2004/05/05(Wed)</h3>
<h4>文体と語彙</h4>
<p><a href="http://404.junkwork.net/archives/000347.html">404 : 江戸の敵と長崎で結婚</a>で反応をもらつたのですが、イソムラさんの文書を読んでゐて思ひ出したのは、使ふ言葉の取捨が、そのときの文体に大きく左右されてゐるといふことである。これは私だけではなくて、たとへばイソムラさんはその典型だと思ふのだけれども、意識的に文章を書かうとする人の多くは経験してゐるに違ひないのだが、小学生向きに文章を書くといふ段になれば誰でも易しい言葉を選んで書くはずだから、これしきのことを特権化して語ることはしないまでもしかし、小学生に向けての文章は、まづ語彙の選択から入るはずで、これは通常我われが創作する文章の順序とは逆であり、つまり普段無意識に選択された言葉とその繋がりは、実のところ多くは己れの内にある文章のリズム感や音感、字面によつて選定されてゐるのであつて、読者の知的係数（？）によつてではなく、それゆゑ己れの想定しうる読者を相手に文章を綴る事は困難極まるものなのだが、現実世にある文章の数々はさうした「読者を念頭に置いた文章」といふもので溢れてゐるのであつて、これらはどれも作者が心血を注いで作られたものに相違なく、その努力の殆どは、己れの文章感と読者のそれとの折衷にあるのであつて、つれづれなるままに誰にも見せぬ日記を書くのとは違ひ、ある程度の読者を念頭におけば、自ずと労苦を負はずを得ない。</p>
<p>さて。一体何が主語でどういふ主題の文書か解らないこの文書で、だれを念頭に置いて書いてゐるかと言へば、ただの実験に過ぎないのでして。粘りッこい文章に磨きをかけたいのですが、意味が通じなければお話にならない。</p>


<h3>2004/05/04(Tue)</h3>
<h4>「幸せとは何か」を問ふこと</h4>
<p>男女間の縺れを、女性の立場から聞くことが最近多い。圧倒的に女性の比率が高いところにゐるからなのだが、聞くと時々唖然とすることがある。大きな声では言へないが、それでもwebサイトでは小さな声は無理なので仕方無く淡々と書くが、女性が男性に抱く感情といふものは、恋愛対象以外の場合で、しかもあらぬ仕打ちを受けた場合、激烈なものとなる。結婚して数ヶ月、付き合つて三年目の女性の話を聞くと、それはもうまるで親の敵、この恨みを晴らさぬでおくべきか、江戸の敵は長崎で、といふやうな調子で、自分の夫を散々扱き下ろす。聞いてゐると明らかにその女性が間違つてゐる事も多々あるのだが、それを指摘する暇を与へず、間髮いれずに次から次へと悪口が飛び出す。仕舞ひには「もう<em>見飽きた</em>」と来たもんだ。置物かなんかぢやないんだから……。</p>
<p>しかし思ふのは、そこまで不幸せで恨みつらみを持つてゐるのに、なぜ結婚したのか。一体、世の女性は、或は男性も、何を期待して結婚したのか。多分、幸せになることを期待したのだらうが、それは違ふと思ふ。或は、そもそも幸せとは何かといふこと、考へずに、まるでそこに「幸せ」といふ具体的な何かがあるやうに錯覚し、それを獲得できるものと思ひこんでゐるのではないか。いざ結婚してみると、それがないものだから、お互ひに幻滅しあつたり、行き着く先きは離婚といふことになるのではないか。</p>
<p>……と、本当はもう一寸突込んで書きたいのだけれど、今日はここまで。</p>


<h3>2004/05/02(Sun)</h3>
<h4>blog考メモ</h4>
<ul>
	<li>既存のコンテンツ作成によつてサイトを作成
		<ul>
			<li>永続的URIになる可能性。</li>
			<li>上記の場合コンテンツ内容がサイトの主軸になる。
				<ul>
					<li>長期間考察・作成するため精巧なリソースになる可能性。</li>
				</ul>
			</li>
		</ul>
	</li>
	<li>毎日記事が追加され、サイトを構成するblog型
		<ul>
			<li>永続的URIが与へられる。</li>
			<li>上記の場合記事単体をコンテンツとして扱ふことも可能だが、単一記事としてよりは多くの情報の中の一つと考へる方がよい（トラックバック・言及する/されるの為の永続的URI）。
				<ul>
					<li>短期間での考察・作成になるため、質のバラつきが生じかねない。ただし量は増加。</li>
				</ul>
			</li>
		</ul>
	</li>
</ul>

<h2>この文書について</h2>
<dl>
	<dt>初版</dt>
	<dd>2004-05-02</dd>
	<dt>最終更新</dt>
	<dd>2004-05-26</dd>
	<dt>著者</dt>
	<dd><a href="mailto:%77%65%62%6D%61%73%74%65%72%40%70%6F%65%73%69%61%2E%6A%70">加納　景</a></dd>
</dl>
</body>

</html>
