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	<meta name="author" content="加納　景">
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	<title>破壊の音楽 -Poesia</title>
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	<li id="POINT">破壊の音楽</li>
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<h1>破壊の音楽</h1>
	<h2>パンクという「音楽」</h2>
	<p><img src="../images/inu.jpg" class="illust" alt="メシ喰うな!"></p>
	<p>度々言っているように、私は坂本龍一の音楽は素晴らしいと思う。だが、もはやその魅力について語るまい、と思う。語れば語るほど、それは嘘になるようだ。しかし、十何年聞き続けてきて、私は、音楽そのものに対して疑いを持つようになった。今まではまるで白痴のようにメロディーというものになんの疑いも持たなかった。音楽とはクラシックから受け継がれた伝統の上に技巧を凝らして、作曲者の独創を盛り込むものだと疑わなかった。そんなドグマを、未だに妄信していたなんぞ、自分でも驚きである。が、この間買ったCDを聴いていて、そんなものはまったく馬鹿げた、安直な思考だとわかった。</p>
	<p>私はその時、非常に機嫌が悪くて、めずらしくやけ買いしたくてしようがなくなり、前から手に入れようとしていたCD欲しさに買いに行ったがなく、しようがないので無為に棚を見ていたら、町田町蔵(現 町田康)率いる伝説のバンド、INUのCDが無造作に置かれていて、手にとり、買った。そして帰って聴き、ちょっと困ってしまった。というのは、たいていの初心者がそうであるように、新しいものを解釈する作業には、何らかの取っ掛かりが必要であるのだ。町田氏の音楽が良いと思うには、どこを聴いたらよいのか、ということを、私は探さなくてはならなかったのである。しかしそんなことはすぐに問題にならなくなった。歌詞を見ながら二三度リピートしていたら、自ずと得心した。そして笑いに笑った。一応断っておくが、パンク論なんぞ糞マジメでくだらないことを得意な顔をしてやるほど私は無能ではない。パンクにあるものは、無意味な破壊だけだから、何かに関連付けて語ったり物語を作ることなぞできうるはずがない。私はそんなことはしない。私が考えるのは、その破壊が何ももたらさなかったことの爽快感である。</p>
	<p>そうなのである。パンクにあるものは、徒労と無意味な破壊しかないのだ。日本近代文学の特色でもある感傷を許さない。いや、そんなものは相手にならないのである。感傷の対象に対して、パンクは、破壊し、破壊しつくしてもどうなるというでもない徒労感を感じる。しかしその徒労感とやらも感傷に過ぎないことを、町田氏は知っている。だから、笑うのである。</p>
	<blockquote title="『メシ喰うな!』「つるつるの壺」">
		<p>お前の頭を開いてちょっと気軽になって楽しめ</p>
	</blockquote>
	<p>代表作の「メシ喰うな」では、</p>
	<blockquote title="『メシ喰うな!』「メシ喰うな」">
		<pre>俺の存在を頭から打ち消してくれ
俺の存在を頭から否定してくれ</pre>
	</blockquote>
	<p>と叫ぶ。なぜなら、自分と同じ<q>ふざけた中産階級のガキ共を</q><q>ぶちのめす為に</q>は、自分を滅ぼさなければならないからだ。つまりは強烈な人間の否定と破壊である。勉強不足の私が言うのは恐縮だが、既存のパンクと一線を画すのは、つまりここではないか。無茶をやっているようだが、しかし自分を、人間を見ている目は冷静極まるのである。インテリのそれしか聴くべきものはないとは言うのではない。セックス・ピストルズの登場が町田氏の出発点(<cite title="ISBN4-16-354180-2">『南部の慰安』「Introducing 町田康 to……」福田和也著</cite>)だったというのは、それの決定的な証明だろう。パンクは、聴いたことのない、おかしくも鮮やかな音楽だから、インテリがどうのこうのとは関係がない。関係はないが、町田氏はそういった既存のものとは違っていて凄いということである。</p>
	<p>さて、縷々パンクについて私は語った。そして、今度はパンクとその他の音楽について語らねばらるまい。何でもそうであるように、常識的なものを突破したものにはやはり魅力を感じるもので、例えば村上春樹氏にしても、デビューした群像新人賞で、次年の同賞には村上風の代物が送られてきて後を絶たなかったという。まるで今までの日本の文学なぞ、食傷気味に思えてならぬという風である。なるほど、それは私にもわからないでもない。しかし、異端であるものはなぜ異端であるのか。それは、正統があるからである。そうでなければ、異端なんぞ出てくることはない。同じようにパンクだって異端だが、正統の音楽があるからこそ異端でいられ、魅力的なのである。逆に言えば、正統的な音楽に魅入られない道理はないということになる。だから、既存のものに魅力がないということにはならない。しかしそうとわかっていても破壊を仕掛けていかなければならないのがパンクである。パンク歌手の多くが、自らの体を傷つけなければならない(町田氏がそうであったのは説明した)救いのなさ。しかし救いのない中でも笑って次の破壊を仕掛けなければならないという徒労。異端者の辛さは、同時に極めて魅力的なものになるのである。</p>
	<h2 id="FOOTER">この文書について</h2>
	<dl id="STATUS">
		<dt>公開</dt>
		<dd>2003-11-20</dd>
		<dt>改定</dt>
		<dd><!--#config timefmt="%Y-%m-%d" --><!--#flastmod file="inu.html" --></dd>
		<dt>制作</dt>
		<dd>加納　景 &lt;<a href="mailto:%77%65%62%6D%61%73%74%65%72%40%70%6F%65%73%69%61%2E%6A%70">webmaster&#64;poesia.jp</a>&gt;</dd>
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