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	<title>ポスト・モダンを超える音楽――菊地成孔氏率いる DCPRG について  -Poesia</title>
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	<li id="POINT">ポスト・モダンを超える音楽――菊地成孔氏率いる DCPRG について</li>
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<h1>ポスト・モダンを超える音楽――菊地成孔氏率いる DCPRG について</h1>
<p><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/redirect?path=ASIN/B00009WASL&amp;link_code=as2&amp;camp=247&amp;tag=poesia-22&amp;creative=1211"><img src="../images/chaos.jpg" alt="MUSICAL FROM CHAOS" class="illust"></a></p>
<p>DCPRG とは菊地成孔さんひきいるジャズ・バンドで、略さないでいったら Date Course Pentagon Royal Garden という長い名前をもった、そして名前に負けないほどの大所帯なバンドのことだ。</p>
<p>その DCPRG のライブ・アルバム、&lt;Musical From Chaos&gt;のディスク 2 を、今、聴いている。</p>
<p>これを聴いていて、僕はふと、「あぶない刑事」という、八十年代に流行ったドラマを思い出してしまう。</p>
<p>舘ひろしと柴田恭兵が、型破りでキザな刑事役をこなし、軽快に事件を解決してゆく。そこには「事件」にかかわる「重い」話よりも、刑事仲間における「愉快」な話の方が大きく取り扱われている。そのおかげで、「あぶない刑事」は、従来の刑事ドラマとは一線を画したといわれている。つまり、「重い」話よりも「軽く」て「面白い」話の方が「ナウいぜ」という八十年代的ポスト・モダンと、折りよく（なのか象徴的なのかはおいておくとして）重なったわけだ。</p>
<p>それ自体としては、否定的に考えるべきなのだろうけれども、それでも「あぶない刑事」が、子供心に、その時代におけるひとつの特徴として認識され、吸収して育った僕には、八十年代的ポスト・モダンは、未だに有効、というよりは、感性の次元において、どこかにぴったりと引っ付いている。</p>
<p>菊地さんは、DCPRG の出来た経緯とその後について、こう書いている。</p>
<blockquote cite="http://park10.wakwak.com/~kikuchic/dcprg/kikaku.html" title="「構造と力」に関する企画書">
<p>デートコースペンタゴン・ロイヤルガーデンは、1998年から神経症の症状として僕に取り憑いた「戦争不安」に対して、ジャズやファンクによってアゲインスト&amp;アジャスト（抵抗と適応。ですね）しようという、結構逼迫した欲望がダンス・バンドという形でフロアに結実した運動体で、1999年に結成した段階で僕は2002年には解散すると宣言していました。2002年までにはいくら何でも実際に戦争が起こっているはずだ。と、その時は思っていたからです。</p>
<p>（中略）</p>
<p>まだ記憶に新しい話ですが、バグダットに最初に米軍が侵攻した日、恵比寿のみるくでライブだったんですよ。ムードがはっきりしてました。全然もう、そういう話は僕等のファンクタイムには（強くは）関係ない。って。だから試しに MCで言ってみたんです「今、とうとうバグダットに米軍が入った」って。クラウドの子達は、そうだなあ。「ん？」って感じでした。「ああそう。そうかあ。時事ニュースね。うん。それより早く次のチューンに行ってくれよ。滅茶苦茶に踊りたいよ」そういうオーラが聞こえて。んで僕も「だよな」って。何か逆説的みたいですけど、ヘルシーだな。「戦争に備える音楽」ってのはもう終わりだ。うん。って確信して。あれは、象徴的だったなあ。</p>
</blockquote>
<p>もちろん、ここで、「あぶない刑事」と DCPRG を並べて、菊地さんのポスト・モダンを語るということは出来るだろうし、実際菊地さんをそのように評価する文章は、これまでにたくさん書かれてきた。しかし、きっとそれは、菊地さんにとって、本質的な表現と評するには不十分なのではないかと思う。</p>
<p>たとえば、僕が「あぶない刑事」を見ていて八十年代を感じるのは、重苦しい雰囲気から逃走して、「逃げろや逃げろ」（<cite>『逃走論』浅田彰</cite>）と「スキゾ・キッズ」を気取っているからというだけではなくて、映像に写された街や、日産のレパード、サングラス、美容室、太い眉毛にパーマの髮、といったアイテムがもたらす、雰囲気、というよりはその時の、その場所の、文脈やスタイルによって、という方がしっくりとくる。だから菊地さんの音楽もまた、そのような文脈やスタイルがもたらした仕事だと思った方が、素直な聴き方といえるのではないだろうか。</p>
<p>あるいは、もっときちんと菊地さんについて語るのならば、通常彼について語られる「韜晦」という特徴と、切り離せるはずがないのであって、音楽もまた、いかにも「ポスト・モダン」的に作りながら、その実きわめて「モダン」的という、一種（菊地さんがよく語るようなかたちとしての）ゴダールと通じるところのあるものだと解釈することもできるはずだ。</p>
<p>「時代の思想」というカテゴライズは、イデオロギーに通じている。なぜなら、イデオロギーとは、思想や言説や価値判断といったものが、普段意識されることのないものとして存在していることをさすからだ。その手のカテゴライズは、人々に、思想としての存在の意識を眠らせる。藝術がイデオロギーと相容れないのは、藝術が、そういった無自覚な思想を自覚することからはじまり、ついには無自覚ゆえに正当化されていた事態に新たな局面を導入することを試みるからだ。菊地さんの音楽に、そうした藝術性みるならば、イデオロギー的なカテゴライズをひとまず外して聴くことが必要だし、そうしてみると、決して「ポスト・モダン」などという言葉で言い表すことのできないことに、気づくはずだ。</p>
	<h2 id="FOOTER">この文書について</h2>
	<dl id="STATUS">
		<dt>公開</dt>
		<dd>2005-09-16</dd>
		<dt>最終改定</dt>
		<dd><!--#config timefmt="%Y-%m-%d" --><!--#flastmod file="dcprg.html" --></dd>
		<dt>制作者</dt>
		<dd>加納　景 &lt;<a href="mailto:%77%65%62%6D%61%73%74%65%72%40%70%6F%65%73%69%61%2E%6A%70">webmaster&#64;poesia.jp</a>&gt;</dd>
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